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ネウヨとB層のフワフワした民意は、現世の諸悪を全て民主党へ転嫁する一方、維新でなく自民党を盲目的に礼賛する風を吹かせはじめた。結局、国会のネジレに辟易して安定志向の心理が働くなか、各党・候補者に対する致命的な欠点による消去法の結果、自民党が最悪ながらも最もマシという消極的選択をするだろう。
それから、少なからぬ人数のB層は投票しないだろう。口先や指先で「投票に行く」と意思表示するのは、有権者の責任を放棄するような誹りを避けたいだけで、本音は政治に絶望し、何も期待できないことを醒めた表情で語ることが今のB層の気分に合っている。自ずと投票日当日は、投票へ行くよりも大事な用事や日常生活を優先させて、最後は面倒臭くなって投票所へ行かずに一日を終えて、選挙速報を観ながら「やっぱりねー。私が投票しても結果は同じだったから、行かなくても良かった。」と訳知り顔で語ることだろう。 かくして、左寄りの大きな風は吹かないまま投票率はせいぜい6割前後に終わり、保守と呼ばれる勢力の組織票が際立つ結果になるだろう。 チャーチルによる、1947年11月11日・下院演説の一節は有名だ。 これまでも多くの政治体制が試みられてきたし、またこれからも過ちと悲哀にみちたこの世界中で試みられていくだろう。 民主主義が完全で賢明であると見せかけることは誰にも出来ない。 実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことが出来る。 これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが。 消去法で、自民党。 今の日本なら・・・? 私は、上記のチャーチルの言葉の「民主主義」を、そっくり「55年体制」に置き換えてしまいたい。 自民党政権の「55年体制」は完全じゃないし、賢くない。最悪だ。 だが、戦後の日本が経験して来た自民党政権以外のあらゆる政権よりもマシだった。 消費税は実施時期が多少先送りになっても概ね予定通り上げるだろうし、原発も核燃料サイクルも何事も無かったように続けるだろう。沖縄米軍もそのままだし、オスプレイは沖縄どころか全国の米軍基地に配備され、日常的に訓練飛行を行うだろう。財務省を頂点とする官僚組織があらゆる政策のシナリオをつくり、黒子となって政治家を操り、自民党の政治屋は官僚から利権の分け前を得るだろう。 日本株式会社の世襲のオーナー経営者が安倍次期総理を象徴とする自民党議員で、番頭が財務省のトップ、各省庁は番頭連合。国民はヒラ社員。それが自民党の政治だ。国民の立場としては最悪だが、他の政党よりマシであることを思い知らされた。 民主党だけは、ない。 そもそも、民主党政権は理屈ぬきで最初から生理的に受けつけられない。左右はもとより政治的な立場が全く異なる「政治屋」が、自民党打倒だけの接点で集票した選挙互助会に過ぎないのに、そんな民主党が政権に就けば、就いた瞬間から瓦解・崩壊・混乱が始まるのは当然の流れである。 私は小泉政権の郵政選挙の頃から一貫して「決められない政治」、ひいてはポピュリズムになることを警告して来た。そもそも民主党が標榜した「二大政党制」は、幻影どころか論評にさえ値しない言葉遊びに過ぎなかった。今の状況が何よりの証拠である。 そして、現状の責任は民主党でなく、ポスト小泉以来の国政選挙で「一度は民主党にやらせてみるか」という軽薄な気分で民主党に投票し、国会をネジレさせた大多数の有権者にある。国民は深く反省し、二度と民主党には投票しない。反省すべきは国民である。民主党は反省しなくて良いから、とにかく解党して消滅すれば良いのだ。財政を憂う気持ちがあるなら、いつまでも国費たる政党助成金を食い物にすべきでない。政策やマニフェストをどのように据えようとも、未来永劫、民主党に対する気持ちは変わらない。 じゃあ、第三極は? 「みんな」と「維新」の主張は、筋論として私は納得できる。渡辺代表、石原代表、橋下代表代行の演説を聴くと高揚感が生じて1票を投じたい気持ちになる。彼らのアジェンダやら公約がブレずに実現すれば良いと思う。しかし現実的でないことが致命的だ。それに尽きる。非現実的な主張に1票を託すわけには行かない。ポスト小泉で民主党に投票した有権者の二の舞となるのはゴメンだ。 そもそも、「みんな」や「維新」が1党単独で議席の過半数を獲得しない限り、彼らの主張をブレずに国会を通すことは出来ない。他の党や勢力と連立する限り、政策合意に妥協が必要となり、ブレるのが大前提となる。「みんな」は絶対にブレないと主張しているが、今度の選挙で一挙に単独過半数を獲得しない限り実現できず、自己矛盾に陥る。すなわち、万がいち彼らの候補者が全員当選しても、1党で単独過半数は占められないのだ。 段階的に勢力を拡大したくても、そのプロセスで妥協と自己矛盾を強いられているので、現実論としては主張が破綻している。仮に連立政権に就けても、勢力を拡大するほど必ず致命的な非難とバッシングを食らい、民主党政権の二の舞となり、政策の混乱と政局の流動化と膠着、すなわち「決められない」国会を招くだろう。 第三極でくくられる各党の代表者や候補者は、誰もが政見放送で「ブレない」「覚悟がある」「必ずやる」と連呼しているが、以上の現実を踏まえると、虚しく思えるのだ。 以下は諸派・泡沫候補に対する若干のコメントである。次々回の国政選挙では、民主党も諸派の仲間入りを果たすだろう。 「未来の党」は、小沢アレルギーをもつ私にとって、選択肢になり得ない。そもそも、私は民主党政権で鳩山由紀夫が招いた環境問題や普天間基地をめぐる混乱を決して忘れない。現実的な代替案なき環境左翼論者の「反対」と「バラマキ」が政権に就けば、破滅的なポピュリズムに陥り混乱を助長させるだけに終わることを学んだ。私にとっては、学ぶというよりトラウマである。 「公明党」「幸福実現党」は、創価学会や幸福の科学といった宗教団体にアレルギーをもつ私には、選択肢になり得ない。 「共産党」「社民党」は、共産主義や社会主義にアレルギーをもつ私の選択肢になり得ない。彼らのやって来た事や歴史的経緯を思えば、イデオロギー以前の問題だ。結局は党指導部を特権階級とする社会征服を企てるテロリストにしか思えない。 「国民新党」は、郵便屋の権益拡大や既得権を守る政治団体が本質であり、主張に耳を傾けるまでもなく私の選択肢になり得ない。郵便屋がなくても当面の生活に困らない私が、どうして郵便屋の生活基盤を護るために1票を投じなくてはならないのか?私は郵便屋を護る前にやるべきことがある。 「新党大地」「新党改革」「新党日本」「みどりの風」等は、所詮は政治屋の個人的な都合で大きな政党から飛び出した議員の仮住まいみたいな党であって、政策や主張がどうあれ全く関心がもてない。連立政権に参加しない限り現実的に何も出来ない党や候補者に私の1票を投じる動機が無い。そもそも党名に「新党」をつけること自体が「腰かけ気分」で軽薄だ。そういう党に私の1票を投じても無駄死にとなる。 ▲
by negative_opinion
| 2012-12-08 13:52
| 政治・経済
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