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電子書籍&本・マンガ - エキサイトニュース
近年のお笑い番組やトーク番組の多くは、集団の中に身を置き、「笑え!」とばかりの強引なオチやギャグに手を叩いて爆笑しているスタジオの様子が放送される。 そんな番組を誰かと一緒に観ているとき、スタジオの観衆に倣って手を叩いて爆笑しないと「今どきの笑い」について行けない「ヘンなヤツ」になってしまう。まさに「空騒ぎ」の押しつけである。独りで観ていたら、何も反応しないのに・・・。 そんな私にとって、タモリ独特の「大人の遊び」が好きだ。'80年前後のオールナイトニッポン、'90年代はボキャ天、今でも見かけるタモリ倶楽部、ブラタモリ・・・、例を挙げればキリが無い。近年では、赤塚氏の葬儀で白紙の弔辞を誰にも気づかれぬように読み上げた(?)のが印象的だ。 私にとって、タモリの笑いには大人の陰翳があって、シブいというかシュールというか、色々な葛藤を抱えた中から突き抜けるバカバカしさがあって、そういう中に本当の明るさを感じ、ときに感動する。 ひと言で述べれば、「たとえ独りで凹んでいる時に観ても、つい、ムフフ^^・・・となる」笑いである。 そんな感性やネタは、「遊び」を通じて研ぎ澄まされるはずだ。 それなのに、「上澄みの結果」だけを求めて、その基盤になる「遊び」を「無駄」と称してカットせざるを得ないメディア。メーカーの感覚で言えば、研究開発費をゼロにするようなものだ。 そして売れ筋の軽薄なアイデア商品ばかり自転車操業で回転させれば、結局は芸人を使い捨てにして、メディアの目利きが衰える。かくして、世間は殺伐とした空騒ぎだけとなる。結局は、誰も幸せになれない世の中になるのだ。 タモリも大活躍!『今夜は最高な日々』で読む80年代 来月で放送開始から29年目に入る「笑っていいとも!」。この番組タイトルは、あるジャズミュージシャンの口癖に由来するという。 高平哲郎*著『今夜は最高な日々』によれば、それはこういうことらしい。 ジャズのツアーでその日の演奏を終えたジャズマンたちは、宿舎に向かうバスのなかで、ツアー・コンダクターかバンド・マネージャーから明日の予定を告げられる。明日の朝が早いと、彼らはたいてい「エー」といやな顔をした。だが、テナーサックス奏者の中村誠一だけは、スケジュールを伝えられた瞬間、明るく「いいとも!」と答えたという。 「いいとも」の開始当初からかかわっている著者が書くだけに、ここから番組のタイトルがついたというのは信憑性がある。 *高平哲郎氏の「高」は正しくは、いわゆるはしご高ですが、機種依存文字のため、本稿では「高」の字を使っています。 300ページを超えるボリュームの本書には、著者がこれまで――本書では1980年代を中心に語られる――出会った人びとについて、上記のようなエピソードが随所にちりばめられている。 著者は1970年代、創刊当初の雑誌「宝島」の編集にたずさわったのち、アイランズという事務所を設立、編集やラジオ・テレビの構成の仕事を中心に手がけるようになる。タモリとの出会いは70年代半ば、新宿のスナック「ジャックの豆の木」でのこと。その後80年代に入ると、「いいとも」や、本書の題名の元になった「今夜は最高!」といったタモリの番組を担当することになる。 もっともテレビ番組の構成の仕事は、「宝島」をやめてから生活を維持するため、仲間から誘われるがままにはじめただけで、いまだにこの肩書きにはなじめずにいるという。 そのせいなのかどうか、「今夜は最高!」で著者が台本を書いたコントは、オチがないとよく言われたそうだ。だが、オチが書かれていなくても、タモリは毎回アドリブでその場をまとめてみせた。 そのうちに、オチがあってもなくても、ディレクターはカメラを止めないで回し続けるようになる。これというのも、コントがひととおり終わってからタモリが何を言うか、どう切り回していくかを撮るためだった。タモリのおかしさを引き出そうという工夫である。 じつはこの演出方法には元ネタがある。それは、映画「社長」シリーズにおける、森繁久彌と三木のり平のシーンだ。このシーンでは監督はカットの声を出さず、2人にアドリブでやりとりをさせたという。 さて、本書のなかで個人的にもっとも興味深く読んだのは、JR東日本の車内誌「トランヴェール」の編集を手がけていた頃のくだりだ。 同誌の内容は、著者のそれまでの人脈を生かした豪華なもので、創刊号には、落語家の林家こぶ平(現・正蔵)、放送作家の河野洋、俳優の斎藤晴彦、映画評論家の野口久光、建築家の石山修武など多彩な人物が登場した。ある号では、作家の百瀬博教(のち格闘技プロデューサーとしても活躍)と、チケットがなかなかとれないことで有名な夜行特急「北斗星」の車内で行なうなど、JRの雑誌ならではの企画も行なっている。 このとき、以前からのテレビの仕事に加え、演劇やイベントにも手を染め多忙をきわめていた著者だが、かつての「宝島」のとき以上に雑誌を編集しているという実感を得ていた。 ところが、終わりは突然訪れた。著者は、まったく自分のあずかり知らぬ事情から、1991年3月号を最後に「トランヴェール」の編集からの撤退を余儀なくされたのだ。それは、JRでのブレーン会議で、某社の雑誌の女性編集長から「無駄にお金がかかりすぎている」と指摘されたことがきっかけだったという。 91 年といえば、バブルが崩壊した年だ。当事者としては、編集からの撤退にはいまだ不満が残るようだが、80年代を回顧した本書がこうしたエピソードで締めくくられているのは、じつに象徴的な気がする。それからしばらくして、雑誌もテレビも、無駄づかいを許されない、せちがらい時代へと突入していったのだから。(近藤正高) ■
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by negative_opinion
| 2010-09-27 11:20
| 社会
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