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また有名人ブログの炎上報道を見かけた。
炎上したブログの記事を見たが、批判されるほどの記事に思えなかった。 行間から敢えて批判した人を想像すると、「有名人との共同作業だから、手弁当で手伝ってね!」、という芸能人の鼻持ちならぬ「増長」を、募集要項から感じ取ったということか。 高樹沙耶のファンなら嬉しい企画だろうが、逆にファンでもなく、高樹沙耶を落ち目のB級タレント程度に思ってバカにしている人にしてみれば、「喜んでくれるだろう」、という前提の能天気な物言いが嫌味に思えたのだろう。 例えば、将来の希望もなく刹那的に日銭仕事で食いつないでいる人にしてみれば、無性にムカつくかも知れない。 食うに困らず陽の当たる所でチヤホヤされながら、暗澹たる地球温暖化の将来に向けて、「エコライフ」などと能天気に明るく軽薄に生きているように思えるかも知れない。 そう思える人に対して、一方的に卑屈な気持ちを抱いてしまうのかも知れない。 それにしても、この記事を「ただ働き」として批判する感覚には、違和感を覚える。 何よりも、ブログを炎上させて、煽った人々は、卑怯である。 何しろ、相手は顔出ししている一人の女性で、知名度を活かしているとはいえ、何の権力も持たず、公権力を頼らず、彼女なりのエコライフを志向して無垢に活動しただけなのだ。これほどまでに批判されるほどの迷惑を社会にかけただろうか? もし、「不快感を被った」と迷惑?に感じて攻撃的な批判をするのであれば、社会全体の代弁者であるかのような「上から目線」の論調を避けて欲しい。かつて歴史上のテロリストが「天誅」と叫んで破壊・殺傷行為をしたのと似たような不快感を覚える。 少なくとも自分の立場を明示した上での「抗議」にすべきだ。フェアにするなら相手と同レベルのプライバシーを晒した上で抗議すべきだ。 私が批判した人に不快感を覚えるのは、共感できないからだ。議論以前の卑怯さに正義を感じないのだ。それだけに、上から目線な物言いに不快感があるのだ。 以前は「荒らし」と呼ばれていたが、このような炎上を助長する行為の動機が、無関係な人をボコボコにして傷つけ、自分自身が刹那的にスッキリする、というものであるならば、炎上させた人達は無差別殺傷事件の容疑者と本質的に同じと思う。 そして、この記事で3,000件の批判が来るとは恐ろしい。数十人からせいぜい500人、最大3,000人の執拗な書き込みなのだろう。このような人達が、ネット上の「無差別殺傷」をするために、「攻撃対象」を求めて日夜ネット上を俳諧しているのだろうか? 「私のこころはすごく悲しいです」 ブログ炎上に高樹沙耶が綴る [ 06月27日 20時52分 ] J-CASTニュース 女優の高樹沙耶さん(44)がカフェでのボランティアを募集したところ、ブログに約3000件の批判コメントが来て、コメント欄は閉鎖された。高樹さんは、エコ住宅の勉強を兼ねて作業を手伝いたい、との希望が多かったと説明したが、なかなか「鎮火」しなかった。「私のこころはすごく悲しいです」「言葉を投げることが幸せを生み、すてきな未来を生むとは思えません」などと思いを綴っている。 「なぜただ働きをさせるのか」と批判続々 コメント管理の良さで芸能人の利用が多いアメブロ。だが、高樹沙耶さんのブログ「高樹沙耶のLaniだより」には、アメブロ利用にもかかわらず、約3000件ものコメントが殺到した。 きっかけは、高樹さんが千葉県南房総市にオープンさせるカフェ「風流」のため、2008年6月23日付日記でボランティアを募集したことだった。日記では、近くの鴨川市で収穫された稲わらで作ったストローベイルを使って、カフェを造りたいと明らかにした。そして、わら積みのほか土塗りをする手作業で一般参加者を募るとした。現在は、木造平屋建てにするカフェの基礎工事中という。 さらに、アメブロ運営のIT企業サイバーエージェントが発信するアメーバニュースが、25日付記事でこの内容を紹介すると、ブログにコメントが相次ぐようになった。カフェの営業を目指しているのになぜただ働きをさせるのか、という批判が多く、かなり過激に高樹さんを罵倒するような書き込みも多かった。 高樹さんは、日記で、「フェアトレード商品やワークショップ運営、自分たちで育てた無農薬野菜を使った食事を提供しながら、地域に根ざし、新たなつながりを生むことをめざす」とカフェの趣旨をうたった。ただ、「交通費・宿泊などの経費は、大変恐縮ですが自己負担でお願いいたします。昼食のみ、こちらで用意させていただきます。 近辺には宿泊施設があります。また、テントを張れる敷地があります」と書いた。こうした点が十分に理解されずに、ネット上で反感が広がったらしい。 「言葉を投げることが幸せを生み、すてきな未来を生むとは思えません」 高樹沙耶さんは、一時女優業を離れてフリーダイビング競技に熱中し、日本新記録を連発したことがある。その後、女優に復帰。07年には、南房総市に移り住んで、無農薬野菜の栽培といったエコ生活を送っている。今回は、こうした活動の中で、環境に配慮したエコ住宅を造るのが目的だった。 ブログの反響やメールに驚いた高樹さんは、6月27日に日記を更新し、さらにボランティアの意図を説明した。それによると、テレビや雑誌でエコ住宅を紹介したところ、家造りの質問が多く寄せられた。ストローベイルに興味を持つ人からは、その素材を使う工務店が少なく、どうしていいか分からないと言われた。そこで、勉強会を兼ねてみなで作業したらいいと考え、ボランティアを募ることにしたという。ストローベイルに詳しい左官も仕事をすることになっており、学びたい人は今回の体験を非常に喜んでいるとしている。 そのうえで、高樹さんは、相次ぐ批判に対し、「ただ働きさせるとかそういう意図は全くございません」と反論。「私のこころはすごく悲しいです、環境のことの前に人間の心のことが気になります、このようなやり取りがインターネットの中では多く行われているようですがこのように言葉を投げることが幸せを生み、すてきな未来を生むとは思えません」などと思いを綴っている。 ただ、こうした説明にもかかわらず、いまだに疑念がくすぶっているようだ。27日夕になってブログのコメント欄を閉鎖したが、別のブログには、「言い訳がましいな」「後だしジャンケンだね」などのコメントが次々に寄せられた。このブログのコメント欄も間もなく閉鎖されている。 サイバーエージェントによると、アメブロにはコメントの自動削除機能はないものの、タレントの要望によって、目視によるコメントの監視体制を敷いている。そして、誹謗・中傷などがあれば、削除して対応する。とはいえ、コメントはすべてOKというタレントもいる。ブログが炎上した高樹さんの場合は、コメント管理をかなり緩くしていたということらしい。 J-CASTニュースでは、高樹さんが所属しているオスカープロモーションに、さらに取材しようとした。これに対し、担当者からは「その件について、コメントすることはありません」との答えが返ってきた。 ▲
by negative_opinion
| 2008-06-29 14:39
| 社会
十把一絡げに一方的に教え、テストして、テストのスコアの番付で上から何%を…といった機械的な「作業」をするのが教師の仕事か?
今までラクな「作業」をやっていた方が、非人間的だったのだ。 「通知表をつけるのが大変」と言うなら、そんな教師は今すぐ辞めてしまえ!と言いたい。 本来の「教育者」になり、「人」として生徒に向き合い、生徒の成長を願って毅然と対応するのが「絶対評価」に求められる教師像だと思う。 役人根性丸出しの公務員教師が小手先で無難に旨くやろうとするから、モンスターペアレントのクレームにハマってグチャグチャになるのだ。そんな小手先を考えるなら、機械作業で全員に5をつける方がマシだ。 徒競走で全員で手をつなぎ同時にゴールイン、めでたく皆で「一等賞」ってヤツだ。教師が「私は教育者としての責務を放棄しました。」、という意思表示を自ら全員にさらけ出すが良い。 ついでに、そうなったら小中学校の義務教育を廃止して欲しい。そんな教師がいる学校に我が子を通わせる時間がもったいないのだ。 この時期、先生たちの頭を悩ませるもの [ 2008年06月29日 00時00分 ] エキサイト ちゃんと勉強してますか? ちなみに、東京は2学期制が多いので、通知表をもらうのも、秋だったりします。 一学期も終盤にさしかかってくるこの時期、教育関係者たちと話をするたびに、耳にするのが、「通知表をつけるのが本当に大変!」という話題だ。 通知表をつけるという仕事は、昔から先生たちがずっとやってきたことなのに、なぜそんなにも?……と思うが、評価の仕方が変わったせいで、仕事がかなり煩雑になっているのだという。 2002年度から学習指導要領が改訂され、評価方法が大きく変わったことはご存知の人も多いかもしれない。 具体的にいうと、それは、集団の中でどのくらいの位置にいるかを示す「相対評価」から、個人が学習内容をどの程度達成できたかを示す「絶対評価」に変わったということ。 これには成績を輪切りで評価されない、個人の頑張りを見てもらえるというメリットがある一方で、「内申点のインフレ化が進んで5段階評定の5が急増した」「差がつきにくく、内申書軽視になる」などの反対の声もけっこうあるわけだが、実際、評価する教員たちの作業量にも大きな影響が出ているのだという。 「絶対評価に変わったことで、成績処理がものすごく大変になりました」というのは、都内の中学校の教諭。 「これまでは上位○%が5で、△%が4で……と決まっていたので、処理が楽だったけど、絶対評価の場合は全員5でも良いわけですから」 そのどこが大変なのかと言うと……。 「通知表の評価は入試にも使うものなので、当然、単純にみんな5というわけにはいきませんよね? でも、『絶対評価』が導入されたことによって、『なんでですか?』『どこが足りないんですか?』『自分は頑張ったのに』など、本人や保護者からいちいち問い合わせがくるんです。教師には成績の『説明責任』がありますから、これにすべて対応していかないといけないんですよ」 また、別の中学校教諭も言う。 「絶対評価は達成度に対してのものだけに、『全員5でも良い』と保護者も思っているので、5じゃないというだけで文句がきます。自分の子どもが努力しているかどうかは棚に上げて、説明を求めてくるんですよ」 さらに、これまでは教師がもっているだけだった「観点別評価」を、保護者に渡す通知表に記すようになったことも、煩雑さにつながっていると言う教諭もいる。 「たとえば、国語だったら、『読む』『書く』『聞く』『話す』のそれぞれの観点別に、A、B、Cを出すようになっています。それも、事前に説明しないと後で苦情が来るので、『この作文を提出したら10点』など、評価の対象になるものをすべて知らせておくんですよ。子どもたちもそれにあわせて、点数稼ぎだけするようになるし……嫌になってきます」 もうしばらくするとやってくる夏休み。でも、その前にやってくる「通知表」、先生にとっても子どもたちにとっても、かなり頭痛の種になっていることは間違いないようです。 (田幸和歌子) ▲
by negative_opinion
| 2008-06-29 12:28
ヘルペスやクラミジアのような性感染症、虫歯、そしてピロリ菌だって、菌やウィルスの保有者とディープキスでもやれば移るだろう。
誰もが一見、清潔に暮らして綺麗に着飾り、市中では抗菌やら除菌だのが普通になっているが、一方では得たいの知れぬ他人と安易に深い接触を繰り返し、誰もが取り返しのつかぬ菌やウィルスを広めている。 見た目が綺麗でも、菌やウィルスの保有は別問題だ。 誰もが菌やウィルスの抵抗力を失って来ただけで、むしろ昔よりも、ずーっと不潔になっているような気がする。 飯島愛も治療完了「告白」 「ピロリ菌」除去なぜ必要か [ 06月27日 20時02分 ] J-CASTニュース 元タレントの飯島愛さん(35)が、自身のブログで「ピロリ菌」の除菌を完了したことを明らかにした。ピロリ菌が胃の中にあると、胃がんのリスクが大幅に高まるとの研究結果もある。名前だけは「ピロリ菌」とかわいらしい感じがするが、一体どんな菌なのか。 「みんなも、はよ治そうね」と呼びかける 飯島さんは2008年6月27日、自身のブログ「ポルノ・ホスピタル」で、 「あ。ピロリ除菌終了しました。なんか、胃腸が元気で消化が良くなった気がする。みんなも、病気ははよ治そうね。と、(編注: 長く病気にかかっていた)私が言う」 と書き、ピロリ菌の治療が大部分完了したことを明かした。飯島さんのピロリ菌治療をめぐっては、2月28日付けのブログで 「最近、検査でピロリ菌が見つかちゃいました飯島ピロリです。この2ヶ月ほど、軽いノイローゼで大変でした。精神疾病です。抗うつ剤を処方されたので凹みました。抗うつ剤なのに....」 と、ノイローゼに悩まされたことをカミングアウトすると当時に、胃の中でピロリ菌が発見されたことを告白。 5月5日のブログには 「そんで、これから、ピロリのお薬飲まないとだよーーーーーーーーーー。嫌でほっといたらね、ピロリが愛珍の中で踊りまくっているんだって。ピロピロダンス!!! でも、ホントに早めに除菌しないとダメだよ」 とも書いており、きちんと薬を飲まないがために治療が滞っている様子だった。 この「ピロリ菌」、正式には「ヘリコバクター・ピロリ」といい、1983年にオーストラリアの研究者2人が初めて培養に成功した。胃の末端部分「幽門」で多く発見されることから、この部位を指す「ピロリ」という言葉が菌の名前にも用いられた。胃の中は強い酸性で、細菌は生きられないと長らく信じられてきたが、ピロリ菌は胃の中にある尿素をアンモニアと二酸化炭素に分解。アンモニアはアルカリ性なので、胃酸を中和して生き延びていたのだ。ピロリ菌研究の業績が評価され、2人は05年にノーベル生理学医学賞を受賞している。 ピロリ菌感染経験者は胃がんのリスクが10倍 人間が体内にピロリ菌を持つようになる経緯については諸説あるが、便などを通じて感染するとの説が有力だ。子どもの頃の衛生環境が悪かった50代以上は大半が感染していると見られる一方、若い世代になるほど感染率は低い。 このピロリ菌の「駆除」が取りざたされるのは、ピロリ菌が胃かいようと密接な関係があるとされているからだ。例えばピロリ菌を発見した研究者のうちひとりは、自分でピロリ菌を飲んで急性胃炎が起こることを確かめたほか、胃かいようの患者の9割がピロリ菌に感染しているとされる。さらに、04年に厚生労働省の研究班が全国4万人を対象に行った調査では、全くピロリ菌に感染したことがない人に比べて、感染経験者は胃がんのリスクが10倍になることも報告されている。 このことから、胃かいようと十二指腸かいようの患者に限っては、ピロリ菌駆除は保険適用で行われている。具体的には、胃薬1種類と抗生物質2種類を1日2回、1週間にわたって服用する。除菌の成功率は7割~8割程度だ。 もちろん、ピロリ菌が発見されたからといって、すぐに何らかの「実害」がある訳ではない。その一方で、胃がんの予防効果を期待して、自由診療でも治療費は実費で1万円程度だということもあり、除菌を希望する声も増えている。 ただし、この場合の除菌は、元々具体的な病気がなかった人に下痢や味覚異常などの副作用を与えるリスクを伴っており、医療現場では慎重な対応を迫られている。 一方、関係学会からは、ピロリ菌を持っていること自体を「感染症」として保険適用にするようにも求める声も上がっている。 除菌で将来の胃がんのリスクを減らすことが大事なのか、それとも薬物投与で起こる副作用のリスクを避けることの方が大事なのか、今後議論を呼びそうだ。 ▲
by negative_opinion
| 2008-06-29 12:01
| 社会
DNA鑑定技術が普通なものになったのだから、「父親を早期に定めて子供の立場を守る狙いがある。」というのが民法の趣旨なら、DNA鑑定で親を規定すれば良いじゃないか。
鑑定費用が要るとか、鑑定結果に100%の保証が無いとか、社会的な影響が云々…だの、屁理屈をコネてDNA鑑定を法制化させたがらない人がいるだろうが、そういう人達は自身にとって都合の良い結論へ導きたいだけのことで、真実がハッキリしたら困る、というのが本音だろう。 敢えて規定するなら、DNA鑑定結果から、前夫でも現夫でもない第三者の男が父親であることが判明した場合だ。そういう場合の措置として、子供を社会的に護る趣旨から、前夫か現夫のどちらかを戸籍上の父親に定める規定を設ければ良いのだ。 そもそも、男としては、いくらモテなくても、いくら魅力的な女性とご縁が出来ても、そういうヤヤこしい事態に陥るような「だらしない女」とは、結婚どころか決してセックスしないように気をつけるべきである。 あくまでも、生まれて来る子供に罪は無く、親の罪が子の将来に映し出されるのだ。 <300日規定>半数以上が「現夫の子」 実態を反映せず [ 06月29日 02時30分 ] 離婚後300日以内に生まれた子のうち、半数以上が「現夫の子」とみられることが、毎日新聞の自治体調査で分かった。実際は「現夫の子」が多いのに、離婚後300日規定が「前夫の子」を事実上強要していることを示す結果だ。実態を反映していない規定の存在意義が改めて問われそうだ。【まとめ・工藤哲】 調査は、道府県庁所在市と政令市、東京23区の全219市区が対象。離婚後300日以内に生まれた子の出生届で、「現夫の子」と主張した件数と、「前夫の子」を親が納得して受け入れた件数を比較した(概数での回答を含む)。 その結果、東京都大田区では、前夫の子に納得したケースは「ない」としたのに対し、通達で現夫としたのは4件、現夫とするため裁判手続きなどを取ったのは「5件以上で10件より少ない」と回答するなど、多くの自治体で現夫の届けが上回った。 一方、堺市南区は、前夫の子に納得したのが「5件以上で10件より少ない」、現夫とするための裁判手続きなどを取ったのは「5件より少ない」、通達で現夫としたのは1件と回答。前夫の子に納得したとする方が多い自治体もあった。 概数回答の「5件より少ない」は2件とし、「5件以上10件より少ない」は7件とするなど、中間の数字で計算すると、通達と裁判などの手続きで「現夫の子」としたのは329件、「前夫の子」に納得した届けは211件で、「前夫の子」は、「現夫の子」の3分の2程度にとどまった。 また、「前夫の子」について概数回答の「5件より少ない」は4件、「5件以上10件より少ない」は9件と、最大の数字で計算すると337件となり、この場合でも「現夫の子」とほぼ同数となった。 法務省は昨年、法務局や家庭裁判所を通じた実態調査をし、離婚後300日以内に生まれた子は全国で年間約3000人と推定。しかし、規定通り「前夫の子」として出生届を出した件数などは「把握できない」としている。 法務省民事局は「調査結果のような実態があるとすれば、規定について法の精神に抵触しない範囲の改正が考えられるか検討が必要だ」と話している。 ◇規定の見直し求める声 調査結果について、専門家からは規定の見直しを求める声が出ている。 家族法に詳しい棚村政行・早稲田大教授は「前夫の子として届けた人は、本音は不承不承届け出たのに、窓口の担当者が事務的に受理した例も含まれるとみられる。前夫の子は実際はもっと少ないのでは」とみている。 300日問題に詳しい榊原富士子弁護士は「一律に前夫の子と推定するのではなく、前夫が『現夫の子ではなく自分の子だ』と異議を申し立てた時に裁判手続きをする方が、当事者だけでなく、裁判所の負担軽減にもなる」と話している。 ▽離婚後300日規定 「離婚後300日以内に誕生した子は前夫の子」と推定する民法の規定。父親を早期に定めて子供の立場を守る狙いがある。前夫以外を親とするためには、前夫を巻き込んだ調停や裁判で確定する必要があり、家庭内暴力などで前夫と連絡を取れない場合、出生届が受理されず子供が無戸籍となっている。法務省は07年5月、離婚後妊娠に限り、前夫以外を親とする出生届を認める通達を出した。全体の9割を占める離婚前妊娠は裁判などをしなければならない。 ▲
by negative_opinion
| 2008-06-29 11:34
| 社会
府労連・新居委員長の、
「国から(財源を)取ってくればよい」、「国から金を取るのが知事の仕事」 という言葉こそ、大阪府を象徴とする地方公務員の本音だ。 会社が潰れたら全員解雇されるのが民間企業。多くの中小企業や自営業者は、ハイリスク(業績不振や倒産→解雇)に怯えつつ、ロー・リターン(低い賃金、サービス残業、長時間勤務)な中で生きている。 一方では、懲戒処分さえなければ解雇されない公務員。ノー・リスク(雇用者側都合の解雇が無い)で、中小企業よりもずっとハイリターン(ハンコ押すだけの部長級で年収1千万超、ある県では県庁の駐車場係が年収6百万だって!)な生き方をしている。 「ローリスクでローリターン」と「ハイリスクでハイリターン」なら筋が通るが、ローリスクどころか「ノーリスク」の連中が、ハイリターンにしがみつき、その財源を平然と我々の納める税金に求めているのだ。 公務員は世の中をナメている。全ての民間人は、心の底から怒るべきだ! 大阪人は、人情に厚い一方、特にカネにまつわる不当な対応には敏感に反応するのではないのか?何故、一斉蜂起して抗議行動を起こさないのだ?一揆が起こっておかしくないのでは? <橋下大阪府知事>人件費削減巡り組合と交渉11時間、決裂 [ 06月21日 12時03分 ] 大阪府の職員人件費削減案を巡り、20日夜に始まった橋下徹知事と府労働組合連合会(府労連)との交渉は、約7時間にわたる異例に長いやり取りの末、21日早朝に終結した。続いて始まった府関連労働組合連合会(府労組連)との交渉も4時間に及び、橋下知事が二つの職員組合と交渉した時間は計11時間に達した。組合側が求める削減案の撤回や修正に橋下知事は応じず、交渉は決裂した。 午前10時半に府労組連との交渉を終えた橋下知事は、報道陣に「生活に重大な影響を与えるような決定なので(交渉時間は)まだまだ短いかもしれないが、後は議会で議論したい」と語った。府庁本館1階会議室で続いた徹夜の交渉。府当局の職員らは一様に疲れた様子だった。 府労連の交渉は20日午後10時すぎに開始。皮切りから新居晴幸委員長と橋下知事の論戦となった。「どうしても削減案を撤回できないなら、(カット率を)圧縮してほしい」。妥協点を探ろうとする新居委員長に、橋下知事が「今は財源がないので、それはできない」と答えると、「あなたは権力者。国から(財源を)取ってくればよい」と新居委員長。「私は国政には権力はない」「国から金を取るのが知事の仕事」などと、応酬が延々と続いた。 午前4時40分。橋下知事が最終的な回答文書を読み上げ、「(人件費削減案を)7月議会に提案し、議論のうえ政治判断をする」と述べた。新居委員長は「交渉は決裂した」と表明。府当局側と組合側双方が一斉に席を離れ、交渉が物別れに終わったのは午前5時15分だった。 府労組連との交渉は午前6時25分に開始。平井賢治書記長が「職員の生活を守った上で財政再建を」と訴え、「政治判断で優先順位をつける」との知事の主張と平行線のままだった。 橋下知事が打ち出した人件費削減案は、一般職で4~16%の基本給カットや5%の退職手当カットなどを盛り込み、今年度だけで総額345億円の削減効果を見込んでいる。組合側との交渉はこれで終了し、橋下知事は条例案や条例改正案として7月臨時議会に上程する方針。 ▲
by negative_opinion
| 2008-06-27 18:46
| 政治・経済
武士道精神に象徴される日本人の心の崩壊は、既に明治維新の頃から始まった、という指摘を本で読んだことがある。
私のイメージは、地球温暖化と共に氷河が融けて行く様子と重なる。 すなわち、社会・経済の近代化が進むほど精神性が徐々に崩壊し、やがて加速して行く。崩れた精神性は氷河と同様、元には戻らない。 崩壊の加速が始まったのは、戦後の高度成長期からで、バブル崩壊後の更なる加速は致命的だった気がする。 節度、節操、恕・・・、といった精神性を取り戻すべき時期は、今にして思えばバブル前がラストチャンスだったが、「自分の利益しか考えられない」日本人の多くは、あっさりと何の迷いもなく節操を見失い、バブルに踊り狂った。 そして、高度成長期からバブルに至るまでの、最も醜い経営スタイルの象徴こそ、プロ球界の経営だと思う。 しかも、未だに過去のスタイルにしがみつき、球界没落のトドメを刺そうとしているのが、ナベツネを象徴とする球団経営者達ではないだろうか。 すなわち、ナベツネは日本の精神性を破壊した象徴的存在である。野球をやったこともないクセに、よりによって巨人のオーナーとして現場を引っ掻き回し、「たかが選手」と上から目線な物言いをする尊大な人物の身勝手な振る舞いこそ全ての源であり、その成れの果ての姿が、没落した日本球界の現状であり、ひいては国民総身勝手な日本の現状だと思う。 では、どうすべきか? この記事にあるように、バ監督が指摘する体制が望ましいと思うし、サッカーJリーグは参考にすべきと考えるが、どのみち私は悲観的だ。 何故ならば、球団経営者達が自ら高い精神性を取り戻すことは不可能だし、融けた氷河と同様、今後、潰れ行く球団を復興させることは、さらに不可能と思えるからだ。 球界改革にボビーが物申す!「フェアのシェアを」 [ 06月26日 17時05分 ] 夕刊フジ 日本には分け合う精神があったはずなのに…。MLB式の均等配分を訴えるバレンタイン監督 日本プロ野球組織と選手会が25日、FA制度改革などについて交渉を行ったが、これにロッテ・バレンタイン監督がモノ申す! 球界改革について持論を展開した。 この日の交渉ではFA権の取得期間については国内移籍に限り8年に短縮。07年ドラフト以降に入団した大学・社会人出身選手は7年とすることなどで2年間暫定的に実施することで合意した。球界の活性化を促す決定に周辺から歓迎の声が上がっているが、バレンタイン監督は「今回は選手がどのように球団から離れるか話し合うのだろうが、離れる選手ばかりでなく、球団も選手も両方が利益を得られるよう、球界の発展につながってほしい」とブチあげた。 「それにはマイナー組織の構築や育成のための話し合いも必要。選手の引退後の福利厚生の充実などで(メジャー挑戦など)日本から離れたくないと思わせる、そんな話し合いが必要なんだ」 そう強調するバレンタイン監督が指摘するポイントは、「球界の収益をシェアする形」。いわゆる米メジャーで行っている30球団の収益をMLBで一括化し、その後に各球団へ均等に分配する方式だ。 「各球団がそれぞれやるのではなく、全球団が一致してアイデアを出して、テレビ放映権などの交渉を共同体で行う。そこからもたらされた収益を分配することだ」。メジャーでは資金など台所事情が厳しい球団でも、日本人選手をポスティングで落札するケースが多いが、これも収益の均等分配があってこそできることだからだ。 これまでの日本球界では、FA選手は巨人など資金力のあるチームに集まる傾向が強く、お金のない球団は争奪戦には参加できない。一方では選手を送り出す球団が移籍補償金をアテにするケースも多く、選手会も「球界の活性化を妨げている」と指摘している。今回の交渉でも補償金の継続が焦点の一つとなっていたが、バレンタイン監督の強調する収益分配方式を採れば、どの球団もFA争奪戦への資金とすることも可能となるワケだ。 「日本には分け合う精神があったはずなのに、なぜ球界で行われないのか不思議なところだ」。不思議な国ニッポンへ、指揮官の切り込みは辛辣だ。 ▲
by negative_opinion
| 2008-06-27 12:42
| スポーツ・芸能
今の日本は死神だらけだ。
都会で電車に乗ったら、一つの車両に少なくとも一人は死神がいそうだ。 死神と言えば、死刑執行を出した法相が死神呼ばわりされて話題になった。 被告に死刑を求刑した検事や、死刑判決を下した裁判官は死神でないのか? 被告の死刑判決を願う被害者の関係者や、死刑判決を支持する世間の人々は死神でないのか? 最終的に、受刑者の首に縄をかけて、最期のボタンを押す刑務官は死神か? 死神は、人の体から魂を切り離すイメージだ。 だが、直接的に死の引導を渡す者だけが死神だろうか? 例えば、今の日本には「死ね」と人の死を願う言葉が溢れている。 そして、そういう言葉に追い込まれて自殺する者や、無差別殺人が頻発し、無差別殺人の予告メッセージが日常化している。ネット上には「氏ね」「市ね」などと相手の死を願い、死を促すメッセージが模様のように漂っている。 私は、人の死を願う者、間接的であれ、軽微であれ、殺意を抱いた相手の死に影響を及ぼした者も死神だと思う。 それが、本気の殺意だろうが、軽い気持ちや冗談であろうが、私にとっては変わらない。 何故ならば、軽い気持ちで言おうとも、結果的に重く受け止めて死に追い込まれる者が現実にいるからだ。私も痛い思い出がある。死ねと言われた心の傷は一生傷だ。 そもそも冗談と言うのは言われた相手が心から笑えるオチが必要だ。言う側が笑うだけで、言われた方が傷つく話は、冗談と言えない。 そう考えれば、ネット上に漂う「氏ね」。このような死を促すメッセージを書き込む者は死神だ。 この記事にある教師も、死神だ。 憎むべき犯罪者の死刑を願う市民感情は死神の群集かも知れない。 そういう意味では、死刑制度を支持する私も死神の一人だ。 物事を深く考えることから逃げるべきでない。何事もそう簡単に割り切れないのが人生の奥義。必要なのは、我々の葛藤だ。人の死を願う事が何を意味するのか、熟慮したうえで「死ね」と言うべきだ。 すなわち、安易に「死ね」と言うべきじゃないのだ。 その前に、見知らぬ誰かに対しても「楽(ラク)に生きるわけには行かないけど、死ぬより生き続ける方がしんどいかも知れないけど、だからこそ、一緒に楽しく生きようぜ!」と願う気持ちを見失っているから、世のなか死神だらけに感じてしまうのではないだろうか? 突き詰めれば、平穏な社会秩序に必要なのは「見知らぬ他者に至るまで慮る心」であり、逆に、「自分と目先の利益しか考えない心」が社会を破滅に導く、ということじゃないだろうか? ------------------------------------------------------------------------- 世の中おかしい。オレは普通に暮らしている連中と大して能力は変わらない。 むしろ、オレの方が優秀と思える自負がある。 オレは、本来ヒーローになって、もっとモテモテになれたはずだ。 それなのに、オレは将来の希望も見出せず、独りでこんな暮らしをしている。 寂しい。悔しい。そして…、憎い。 どいつも、こいつも、オレをシカトしやがって…。 能天気なツラして普通に生きてる連中が憎い。 だから、皆殺しにしてやる・・・。 ------------------------------------------------------------------------- 上記のように考える人が、少なからずいるのだろう。気の毒だと思う。 確かに、その人の能力は他の人と大して変わらないだろうし、むしろ本人が自負する通り優秀な所があるのかも知れない。 だが、自分のことしか考えてない。そこが決定的な分岐点だ。 極限に追い詰められた状況になるほど、その打開策のヒントは他者を慮る心にあるはずだ。 だが皮肉なことに、追い詰められたと感じる人ほど、自分のことしか考えられなくなる。 誰かのせいにしたり、誰かを怨み、誰かを憎まないと、自分自身の心の均衡が取れなくなる。 このように考えてしまうのは、私だけだろうか…? 小6男児に「自分で死ね」 札幌市教委、3教諭を処分 [ 06月25日 21時52分 ] 共同通信 札幌市教委は25日、市立北九条小で昨年11月、20代の男性教諭が当時6年生の男児に「自分で死ねよ」と発言、6年生全員に体罰を加えたりしたことが分かったとして、この教諭ら3人を減給1カ月などの懲戒処分にした。騒いでいた体罰に計45人を約1時間、廊下に立たせた。さらに自覚をただし、死ぬ気でやると答えた男児に「先生が殺したら殺人犯になる。できなかったら自分で死ねよ」と言ったという。 <朝日「死に神」報道>犯罪被害者の会が抗議 [ 06月25日 19時23分 ] 死刑執行の件数を巡り、朝日新聞18日付夕刊1面のコラム「素粒子」が鳩山邦夫法相を「死に神」と表現した問題で、全国犯罪被害者の会(あすの会)は25日、朝日新聞社に趣旨の説明を求める抗議文を送付した。 文書は「感情を逆なでされる苦痛を受けた。犯罪被害者遺族が死刑を望むことすら悪いというメッセージを国民に与えかねない」と抗議した上で、「法相の死刑執行数がなぜ問題になるのか」などと回答を求めている。 同社広報部は「真摯(しんし)に受け止め、速やかにお答えする」とコメントした。【石川淳一】 朝日・素粒子の「死に神」表現 抗議など1800件 [ 06月23日 18時05分 ] J-CASTニュース 朝日新聞の2008年6月18日付夕刊1面のコラム「素粒子」が鳩山法相を「死に神」と表現したことに対し、朝日新聞社に約1800件の抗議や意見が寄せられていたことが明らかになった。それらは、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」などだという。 21日付夕刊の素粒子では、「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」と釈明しながらも、「風刺コラムはつくづく難しいと思う」「表現の方法や技量をもっと磨かねば」と反省の弁を述べている。 <抗議>朝日コラムの「死に神」に1800件 [ 06月22日 01時17分 ] 死刑執行の件数をめぐり、朝日新聞夕刊1面のコラム「素粒子」(18日)が、鳩山法相を「死に神」と表現した問題で、朝日新聞社に約1800件の抗議や意見が寄せられていたことが分かった。 21日夕刊の素粒子では、「法相は職務を全うしているだけ」「死に神とはふざけすぎ」などの抗議が千件を超えて寄せられたことを明かした上で、「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」と説明。「風刺コラムはつくづく難しいと思う」とし、「法相らを中傷する意図はまったくありません」「表現の方法や技量をもっと磨かねば」と、おわびとも取れる内容になっている。 朝日新聞社広報部は、抗議数を回答したが、「(21日夕刊の素粒子などについて)特にコメントはありません」と話した。 ▲
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| 2008-06-26 07:43
| 社会
匿名は、人を「恥知らず」にさせる。
例えば、リアルでは恥ずかしくて、とてもカミングアウトできないような失敗談を書いて、誰かから共感が得られると、妙に癒されたりする。このような話なら、普通は誰も傷つけないし、誰にも迷惑をかけないから、匿名であることが救いになる。匿名のメリットと言えるだろう。 一方、匿名は卑怯な振る舞いを助長し、あるいは攻撃的にさせる。感情的になると、なおさらだ。 どちらが良いのか、匿名の是非は今の私には判断できないが、いずれ匿名が許されなくなるのかも知れない。 <秋葉原殺傷>事件後、犯行予告6件のネット書き込み [ 06月16日 20時36分 ] 東京・秋葉原の17人殺傷事件後、インターネット掲示板に無差別殺人などの「犯行予告」を書き込む事件が相次ぎ、全国の警察が15日までに計6件について、威力業務妨害や軽犯罪法違反を適用し捜査していることが、警察庁のまとめで分かった。同庁は「書き込みが世間に与える影響も大きく、厳しく対処する」としている。 警察が捜査に乗り出した犯行予告の書き込みは「池袋行って100人ぶっ殺す」(警視庁)▽「アメリカ村で無差別殺人をおこす」(大阪府警)▽「秋葉原の事件の真似(まね)をします」(広島県警)――など。 警察庁は今月9日、インターネットの掲示板に殺人や爆破予告など犯罪を予告する記載を見つけた場合は110番通報するよう、電気通信事業者協会など関係4団体に要請した。【遠山和彦】 ▲
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| 2008-06-17 00:32
| 社会
昔はクルマの速さに心ときめくものを感じていた。クルマの業界にも携わった。
でも、今は何故か憧憬が全く浮かばなくなってしまった。心の底にしまい込んだというよりも、本当に関心を失ってしまった。 心底、どうでも良いのだ。 我ながら、信じられないほど醒めてしまった。昔は、速いクルマに関心の持てない大人を馬鹿にしていた。つまらない連中だと思った。スポーツカーに興味が持てない大人たちは、いったい何が楽しくて生きているのか?と思った。 だが、いま私自身が、そういう大人になってしまった。呆然とする。 今は、とにかくフル積でも150km/hで気楽に巡航できて、実用燃費が50km/L以上、4人and/or荷物がたっぷり載せられる、軽自動車の新車を、諸経費・税込み50万円以内、できればパソコン並みの10万円で欲しい。加速は問わない。快適装備やNVHはどうでも良い。最低10万kmメンテナンスフリーで、一切、壊れなければ良い。タイヤやブレーキパッドなど消耗部品の交換も抑えたい。エンジンオイルやミッションオイルが10万km以上メンテ不要であって欲しい。もちろん、MTのみで良い。衝突安全性にコストや車体重量を割く必要は無い。あらゆる安全はドライバーの腕と運次第と居直れば良い。 ニュルの最速ラップを競うよりも、ずっと挑戦的なテーマだと思う。 「NISSAN GT-R」、独ニュルブルクリンクで量産市販車最速タイム [ 06月13日 21時01分 ] ![]() 日産自動車のスポーツカー「NISSAN GT-R」が、4月16~17日にドイツのニュルブルクリンクサーキットで行われた走行テストにて、量産市販車として初めて7分30秒の壁を破る7分29秒を記録した。同車の標準タイヤであるダンロップブランドの高性能ランフラットタイヤ「SP SPORT 600 DSST CTT」を供給する、住友ゴム工業が発表した。 SP SPORT 600 DSST CTTは、NISSAN GT-Rのパフォーマンスを最大限発揮する目的に加え、ニュルブルクリンクでの好タイム達成も視野に入れ開発されたタイヤで、今回の走行テストでも装着された。ランフラット性能と軽量化を両立した形状技術「CTT(Combined Technology Tyre)」を採用し、高速走行時の運動性能だけでなく、一般走行における乗心地やノイズ、ウェット性能の向上も図られているという。 2007年10月の東京モーターショーでNISSAN GT-Rが発表された際には、7分38秒というタイムでニュルブルクリンクを駆け抜ける映像が公表されていた。 (+D Style) ▲
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| 2008-06-15 19:15
| 社会
記事によれば、被害者の気持ちに心から寄り添えない野次馬が、約1/3いるようだ。
中には刺激的な見世物を楽しむ程度の根性でいる人が少なからずいたはずだ。 「別に、いいじゃん?他人事だもん。」というのが本音だろう。 救出作業に貢献できる事がありながら、それをしないで、あるいは救出作業を行う人の邪魔をしたり集中力をそぐように、現場でケータイ撮影を「楽しむ」人もいたのだろう。 「だって、楽しいし。かといって、事件に巻き込まれたくないもん。」というのが本音だろう。 「(にわかジャーナリストになって)世間に伝えないと…」、と後づけの理屈で正当化する人もいたようだ。 野次馬はいつの世も必ずいるのが現実だが、カメラ付ケータイの普及で、節操を失った野次馬が増えている、ということだと思う。 だが、私たちは、こういう報道を通じて、節操と自制を学ぶべきだ。 せめて、1/3が1/5以下になって欲しいと願う。 気持ち悪い人々 ◆木偶の妄言◆ 秋葉原事件の被害者撮影 モラル論議が巻き起こる [ 06月12日 21時00分 ] J-CASTニュース 秋葉原通り魔事件の被害者を携帯などで撮影した人たちが、「不謹慎」などと叩かれ、論議になっている。市民がネットで次々に情報発信したこの事件では、マスコミと同じようなモラルが問われているようだ。 「不謹慎だから止めて下さい!」 通り魔事件では、週刊誌各誌が、凄惨な現場にレンズを向けた人たちにも矛先を向けている。 週刊新潮2008年6月19日号では、亡くなった2人の友人である東京電機大学生の怒りを紹介した。この学生は、応急処置のできる人がすぐに集まったものの、倒れた2人を携帯電話やデジカメで撮っている野次馬が周りにたくさんいたと告白。 「不謹慎だから止めて下さい!」 こう叫んだが、みな止めようとはしなかったという。学生は、ミクシィの日記でも、このことを書き、「なんなんだよお前ら、馬鹿ばっか・・・ カメラぶっ壊してやろうかと、携帯逆折りしてやろうかと そう思った」「・・・なんで? 悔しくて涙が止まらなかった」と打ち明けている。 被害者をケータイで撮りまくるアキバ系のイヤな感じ。こんな刺激的な見出しをつけたのが、週刊文春6月19日号。記事では、「すぐメールで送る」と興奮して携帯で被害者を撮ったり、駅前の歩道橋上や交差点で携帯をかざしたりする若者たちに言及した。そして、「非常にイヤな感じ」とぼやく現場の記者の声を伝えている。 また、女性セブン6月26日号では、文春と同様な見出しを掲げ、「不気味な光景」と指摘した。「写真なんか撮るな!」。こう怒る警察官もいたが、みなソッポを向き、写真を見せ合っていたとしている。 こうして撮られた写真や動画は、友人などの間で私的に見られたらしい。その一方で、ネット上の掲示板や動画サイトなどに投稿する人も多かった。惨劇の現場にいた人が発信しただけに、テレビよりも情報が早く、しかも、書き込みや画像に直接体験者ならではの迫力があった。 「私は不謹慎なのでしょうか?」 しかし、人としてのモラルを考え、複雑な心境を漏らす投稿者もいた。 動画配信サイト「UstreamTV」で実況中継したあるプログラマー。自らのブログ「Recently」の日記で、こう悩みを打ち明けた。 「これはただの報道ごっこであり、そんなの撮るんじゃない。不謹慎だ。とか思われるだろうし、警官の人にも『人の不幸を撮って楽しいか?』とか言われました」 現場では、映像のネタになると思って撮り始め、視聴者が1000人を超えるとかなり興奮したという。投稿は反響を呼んで、2ちゃんねるにもリンクが張られた。「もしかしたら報道のカメラマンはこういう気持ちになってる人もいるんだろうなぁ~」とも漏らしている。 同様に、UstreamTVで中継した化学関係の仕事の人は、ブログ「ぐんにょりくもりぞら」の日記で、「野次馬根性がなかったとは言い切れません。ustの閲覧者が増えていき数百人を超えた辺りである種の高揚感があったのも認めます。そんな私は不謹慎なのでしょうか?」と揺れる心の内を明かした。中継したのは、「その場での出来事を、あの場の空気を中継したかったからした。ただそれだけでした」という。 一方で、投稿の意義も感じているようだ。前出のプログラマーは、「それでも、野次馬(一般市民)の人たちが2次的被害にあってないとか、警察・救急の方々の仕事ぶり、犯人の逮捕状況(このときは逃走中)などリアルタイムで伝えることができただろうし、事件を知ってから現場に急行したテレビ局の報道の人達よりは多くの情報を伝えられたと思う」と日記につづっている。 「ガ島通信」で知られるブロガーの藤代裕之さんは、日経ネットの6月10日付コラムで、投稿者モラルの問題を取り上げた。そこで、藤代さんは、「誰もが発信できるとなると、『野次馬』と『報道』の違い、そしてマスメディアの正当性も揺らいでくる」として、「これまでマスメディアの人たちが経験した葛藤が誰にも起き得る」と指摘している。 ライブドアでは、世論調査サイトで、事件現場の撮影がモラルに反すると思うかどうかのアンケートをした。その結果、「思う」が66.89%で、「思わない」が33.1%だった。面白半分の撮影には否定的な一方、撮影の社会的意義も認めざるをえないとの声のようだ。 ▲
by negative_opinion
| 2008-06-13 07:45
| 社会
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