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芸能人は「商品」だ。芸能人は、人気と引き換えに「自分自身であること」を棄てて、「商品」に徹しなくてはならない。そして、「自分自身」を「商品」と一致できる芸能人、あるいは一致させることが許される芸能人は、極めて一部の恵まれた人だと思う。
私が知る、ある芸能人は、驚くほど「事務所」が何もかも「商品」を創っている。出身地、生年月日、出身校、家族構成、スカウトされたエピソード、性格、特技、趣味、好みのブランド、愛用のモノ、好きな食べ物、苦手なもの、好きな異性のタイプ、目標としている芸能人、プライベートのエピソード、オフの過ごし方…プロフィールの何もかもだ。知人の場合で言えば、プロフィール通りなのは性別だけで、身長さえ創られている。公式サイトにある「本人からのメッセージ」なるものは全てマネージャーが書いているし、取材の受け答えも事務所が用意した答えを「あくまで自分の言葉」として演じながら話している。器用なものだ。完全にプライベートで話す時は、口調もトーンも、もちろん方言も、全く別人に思えるほど違う。もっとも、受付嬢の電話応対やエレベーター嬢やバスガイドのアナウンスがプライベートの話し方と声色まで違うのを思えば当然かも知れないが。 当然、仕事は事務所が「商品」のイメージ戦略に応じて「入れる」。その人の「素」は、同じ人とは思えないほど完全に違う。特技は実際とギャップがあるので、特技をTVでやらされたらどうするの…?と心配した。実際、そうなったが無難に済ませていたようだ…。ああいう場面で「図太いこと」こそ、芸能人の素質に思える。 もちろん、本人の葛藤を少なくするためにも、「商品」のイメージ創りに本人が加わり、本人の意向や了解を得てプロフィールや商品コンセプトが創られて行くのだろう。本人の意思に関係なく、事務所が一方的にイメージを作ったのは、'70年代までの話だろうと思う。 だが、傍目に見ていて、疲れるだろうな…と。何と言っても「キャラ」を創って演じ続けている。これは疲れるはずだ。私には、TVに映る満面の笑みが痛々しく思える。実際、本当のオフの時、本人は物凄く疲れている。そりゃそうだと思う。分秒刻みのスケジュールで、常に見られている中で「商品コンセプト」に沿った自分を毎日24時間近く演じ続けているのだ。生きているのが不思議なほど疲れ切っている。人道的にもオフの芸能人に対しては、そっとしてあげるに限る。 さて…、坂井泉水が逝ってしまった。 彼女ほど「商品」に徹した人はいないと思う。彼女の「素」の心が、一途で純粋だからこそ、ここまで出来たのかも知れない。よほど素直で従順な人でなければ、これほど長年にわたり葛藤もなくイメージを壊さずに仕事を続けられるとは思えないからだ。 ただし、肉体が純粋だとは言わない。子宮頸がんはウィルスが原因。若い頃に得てして不特定多数との不潔なセックスに耽るのが背景。感染する頻度が少なければ自浄できるものの、あまりに感染頻度が多いためにウィルスが細胞を癌化させて何年もかけて増殖した結果で起こるものだ。だから、子宮頸がんになった女性は、「若い頃に色んな男とヤリまくった」と受け止めざるを得ない。 だが、彼女が奔放な女性だったとしたら、これほど長年にわたり汚いゴシップ報道をされずに来れただろうか?それは不可能だと思う。 そこで想像するに、要は事務所という閉ざされた世界の中で、素直で従順な彼女は蹂躙され続けて来たのではないか・・・と。そうだとすれば、史上最悪のレイプかも知れない。 今後も、まことしやかに様々な憶測が飛び交うことだろう。私の憶測も酷くチープで最悪の部類だ。亡くなった人と彼女を信奉するファンには申し訳ない。だが、真相は本人のみぞ知る…だ。 それにしても、一連の記事を読んでいると、先に書いた「商品」づくりと「事務所」の実態が思い浮かぶ。事務所が彼女の逝去を知った瞬間、事務所は「追悼売り尽くしセール」で、いかに「高く売り尽くす」かで、頭がいっぱいになっただろうと思う。 人が死んでも事務所がソロバンをはじくのは仕方ない。事務所にとって、坂井は「人」である前に「商品」だ。それがショービジネスだ。芸能人は「人」である前に「商品」で、それでも敢えて「商品」になる道を選択したのは、恐らく坂井本人なのだ。借金のカタに身売り同然で脅されて入ったのでない限り…。 となると、彼女は「坂井泉水」という「商品」として、いったい何をしたかったのだろう…? 案外、それを考えずに今まで走り続けて来て、人並みよりも時間をかけて、その葛藤にたどり着いてしまったから、死を選んでしまったのかも知れない。だとすれば、はしかやおたふく風邪、水疱瘡のような病気を歳とってからすると重症になるのと同様、葛藤は若い内に済ませるべきだ・・・というのが、残された者への教訓だ。 彼女の冥福を祈りたい…。だが、彼女は迷い続けてしまうのではないか…と思う。 一番言いたかったのは、所属事務所の言い分は決して信じられない、ということだ。 謎?謎?謎? ZARD急死の真相、飛び交う憶測 [ 05月29日 17時05分 ] 夕刊フジ 27日に脳挫傷で急逝した人気音楽ユニット「ZARD」のボーカル、坂井泉水さん(享年40、本名・蒲池幸子)の死因にさまざまな憶測が飛び交っている。ある音楽関係者は「身辺整理をしていなかった。詞を書くなど、復帰に前向きだった」と自殺説を完全否定するが、入院先の病院関係者は「自殺しかあり得ない。病院側の管理責任が問われる」と明かす。滅多に表舞台へ姿を見せず、謎の多かった孤高のシンガーの最期は深い闇に包まれている。 自殺と事故の両面で調べを進める警視庁によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、東京・信濃町の慶応大学病院の駐車場で、頭から血を流してあおむけで倒れているところを通行人に発見された。坂井さんは病棟脇にある非常用スロープ(高さ約3メートル)から転落したとみられている。 慶大病院の関係者は次のように明かす。 「患者があれほどの早朝に、非常通路に出入りすることはない。しかも、雨が降る早朝に散歩することも不自然だ。自らの意思で乗り越えたとしか思えない。状況から考えて自殺ではないのか。病院関係者の多くがそうみている」 坂井さんは現場となったスロープのある病棟の4階に入院していたが、病棟からスロープへは施錠してあるため、直接出入りはできないという。 この関係者は続けて、「患者に自殺を許してしまった病院側に管理責任問題が問われる可能性もある」とも話す。 警視庁の発表によれば、坂井さんが手すりを乗り越えた痕跡が見つかっており、「足を滑らせた」と発表した事務所側のコメントと大きく矛盾している。 一方、音楽関係者は「遺書もなかったし、病室が整理された様子もまったくない。病室では詞を書き留めたり、秋ごろをめどに、ツアーやアルバム製作を予定するなど、復帰にはとても意欲的でした」と真っ向から自殺説を否定する。 坂井さんは発見時、私服で病室のベッドにはパジャマが脱ぎ捨てられていた。さらに、坂井さんはファンクラブの最新の会報にも「体調は思わしくないが、頑張っている」と前向きなメッセージを寄せていたといい、生前、自殺の兆候がなかったことを物語る。 乗り越えたとされる手すりは1階部分で、警視庁では「自殺で3メートルの高さは低すぎる」と漏らす捜査関係者もいる。坂井さんが手すりに腰掛け、誤って転落した可能性も含めて調べているが、目撃者もなく、死因の断定には時間がかかりそうだ。 ◇ 坂井さんの通夜は29日、告別式は30日に近親者のみで営まれる。ファンや関係者に向けた「音楽葬」が、来月27日、青山葬儀所(港区南青山)で執り行われることが決まった。 ベールに包まれた坂井さんの生涯…素顔はシャイで気配りの人 [ 05月29日 08時05分 ] サンケイスポーツ 所属事務所、ビーイングの玄関にはZARDの全CDが並べられ、献花台が設けられた。坂井さんの遺影は、平成11年にベスト盤のために撮影されたもの ロックユニット、ZARDの坂井泉水さん(本名・蒲池幸子)が27日午後3時10分、脳挫傷のため、都内の病院で死去した。40歳だった。 素顔をさらさない“覆面歌手”は、最後まで謎を残して天国へと旅だった。 坂井さんは平成3年にロックバンド、ZARDの一員としてデビュー。ただ、作詞とボーカルを務める彼女以外のメンバーは楽曲のたびにかわり、実態はZARDが坂井さんそのものだった。 5年にテレビ朝日系「ミュージックステーション」に出演したのを最後に表舞台に出ることはなく、プロモーションで流れる彼女の姿が“動く坂井泉水”のすべてとなった。謎は謎を呼び「歌手とは別に写真で顔を出すモデルがいる」と影武者説まで飛び交った。 ZARDをはじめ、大黒摩季(37)らビーイング系アーティストはそんなイメージ戦略と、さわやかで口ずさみやすいメロディーで、1990年代に音楽業界に一大旋風を巻き起こした。 特にZARDの歌は、バブル崩壊後の日本を励ました。初ミリオンとなった5年の「負けないで」は翌年センバツ高校野球の入場行進曲となり、球児たちを鼓舞。また「揺れる想い」「きっと忘れない」など恋愛をテーマにした楽曲は、前向きな歌詞と明るい曲調で恋に悩む女性に希望を与えた。 歌手デビューする前は本名の蒲池幸子でレースクイーンとして活動。岡本夏生(41)とともに日清カップヌードルレーシングチームに所属し、写真集を出すほどの人気者になった。しかし、歌手の夢を捨てきれず、ビーイングの門戸をたたき、総帥の長戸大幸氏(59)を認めさせた努力家でもあった。 シングルトップ10獲得数(40作)で女性ボーカル部門1位など数々の金字塔を打ち立て、90年代最高の女性シンガーとうたわれた。が、素顔はシャイで気配りの人だったという。ジャケット写真に横顔が多かったのも、ポーズを取るのが苦手だったからだ。 関係者によると、3年前に初ライブツアーを行った際、スタッフ一人ひとりに声を掛ける気遣いを見せ、後輩の倉木麻衣(24)や愛内里菜(26)が会場へ訪れた際には、わざわざ会って優しく話しかけたという。その人柄は、澄み切った歌声とともに人々の胸に刻まれている。 ZARD坂井泉水さん病院階段から転落死 [ 05月29日 10時29分 ] 日刊スポーツ 人気音楽ユニットZARDのボーカル坂井泉水(さかい・いずみ)さん(本名・蒲池幸子=かまち・さちこ)が27日午後3時10分、脳挫傷のため急死していたことが28日、分かった。40歳。坂井さんは昨年6月に子宮頸(けい)がんを患い、1度は快方に向かったが肺転移が認められ、今年4月に再入院。今月26日早朝、入院先の東京・信濃町の慶大病院の非常階段から転落し、後頭部を強打したことが死因だった。10月の新アルバム発売を目指し、病室での楽曲制作や写真撮影を進めていた矢先の死だった。 坂井さんは、両親と親族数人にみとられ、息を引き取った。関係者によると、転落後は最期まで意識が戻らなかったという。遺体は28日までに都内にある実家に戻った。事務所スタッフは「仕事で両親と一緒の時間が少なかったので、今は家族水入らずの時間を過ごさせてあげたい」と自宅前で立ち尽くし、肩を落とした。 警視庁四谷署によると、坂井さんは26日午前5時40分ごろ、肺がん治療で入院していた5階建ての慶大病院1号棟にある非常用らせん階段のスロープ(高さ約3メートル)から転落。駐車場のコンクリートで後頭部を強打し、あおむけに倒れているところを通行人に発見された。 転落時の目撃者がいないため、四谷署は事故と自殺の両面で調べている。所属事務所は「最近の日課だった散歩を終えて病室に戻る途中、前日の雨の影響で足を滑らせた」と説明。「3メートルの高さは自殺で飛び降りる高さではない」と話す捜査員もいる。発見時は外出用の服装。親族に近い関係者によると、遺書はなく、病室のベッドには脱ぎ捨てられたパジャマがあった。身辺整理の跡もなく、自殺の兆候はないという。 だが、スロープの床から手すり上部までは約1・2メートル。足を滑らせて転落するというのはやや不自然。四谷署も、手すりを乗り越える形で転落したとみており、詳しい経緯を調べている。 世間を揺るがした突然の悲報。同時に、がんの闘病中だったことも公になった。昨年6月に極秘で子宮頸(けい)がんの手術を受け、入退院を繰り返していた。子宮全摘出手術を受け一時は快方に向かったが、今年3月に受けた検査で肺への転移が認められた。嫌煙家で飲酒も好まず、健康管理に気を使っていた坂井さん。不条理な現実に直面したが、気丈だった。度重なる発病にも「しっかり治して、秋に新作(アルバム)を発表したいね。全国ツアーもやりたいよね」と前向きだった。 放射線、抗がん剤治療で肺がんも確実に縮小し、体力回復のため、病院の敷地内を精力的に歩いていた。10月発売予定だった同アルバムの写真撮影も進められ、制作途中の楽曲も多数あった中、誰も予期できない悲劇が待っていた。 坂井さんはモデル活動を経て91年に歌手に転身した。93年に「負けないで」が約164万枚を売り上げ、翌94年には、センバツ高校野球の入場行進曲になり、音楽の教科書にも採用された。93年のオリコン年間売り上げチャートで総合1位を獲得。日本の音楽界の頂点に立ち、毎年、NHK紅白歌合戦の出演依頼があった。 メディア露出を極端に避ける手法が奏功し、神秘性でブレークした。年齢も非公表。音楽番組は93年のミュージックステーション出演が最後。単独ライブも99年のアルバム購入者イベント、04年3月の初全国ツアーと生涯2回だけだった。 通夜は29日、告別式は30日に密葬で営まれる。東京・六本木の所属事務所リレーションズ、大阪・北堀江のGIZA studioには記帳、献花台が設けられ、多数のファンが別れを告げた。 ZARDの坂井泉水さんが謎の転落死…病院の非常用スロープから [ 05月29日 08時05分 ] サンケイスポーツ 「負けないで」などのヒットで知られるロックユニット、ZARDの坂井泉水さん(本名・蒲池幸子)が27日午後3時10分、脳挫傷のため、都内の病院で死去した。40歳だった。昨年6月から子宮頸(けい)がんを患い、肺への転移が見つかった今年4月に再入院。今月26日早朝に病院の非常用スロープの約3メートルの高さから転落、後頭部を強打した。テレビ出演や生ステージをほとんど行わない“謎に包まれた歌手”と言われた坂井さん。自殺なのか、事故なのか、警察では両面から捜査している。 「負けないで」「揺れる想い」など数々のヒットを放ちながら、露出の余りの少なさから、ミステリアスな存在として知られていた坂井さんが、突然のこの世を去った。 警視庁四谷署や所属事務所によると、坂井さんは昨年初夏に体の不調を訴え、精密検査を受けたところ子宮頸がんが発見された。6月に東京・信濃町の慶応大病院に緊急入院し、子宮の摘出手術を受けた。 術後の経過は良好で昨年秋に一度は退院。通院治療を続けていたが、今年3月の検査で肺への転移が見つかり、4月中旬に同病院に再入院した。それからは放射線や抗がん剤による治療を続け、「がん細胞が小さくなり快方に向かっていたと聞いていた」(所属事務所)という。ただ、がんで入院していた事実は、一部のスタッフにしか知らされていなかった。 “事故”は26日早朝に起こった。午前5時50分ごろ、同病院1号棟の非常用スロープの下で、坂井さんが仰向けになって倒れているのを病院関係者が発見した。すぐにICU(集中治療室)に運ばれ、応急処置が施された。 スロープの1階と2階の間にある地上から約3メートルの高さの踊り場から、コンクリートの地面に転落したとみられ、頭から大量の血を流していたという。外出用の私服姿で靴を履いたままだった。ICUでは危険な状態が続き、翌27日午後3時10分、両親や親しいスタッフら数人に看取られ天国へと旅立った。死因は外傷性頭がい内損傷(脳挫傷)だった。 坂井さんは最近、病院の敷地内を散歩するまでに回復。復帰に向けた体力作りのため、早朝の散歩を日課にしていた。所属事務所では「前日の雨で足を滑らせた」と説明し、「遺書がなく、病室の身辺を整理した様子もありませんでした。闘病中も弱音を吐くことなく気丈に振る舞い、病室ではノートにメモ書きで作詞するなど復帰に前向きでした。『ライブをしたい』とも漏らしていました」と自殺を否定した。 今秋にアルバムを発売予定で、3年ぶりのライブツアーも計画されていた。再入院前にはジャケット撮影も済ませ、最新号のファンクラブ会報には「最近体調が思わしくないですが、頑張ってます」と近況報告していた。ただ転落したスロープには乗り越えた痕跡があり、病院関係者によると患者が立ち寄るような場所ではないという。 四谷署でも事故と自殺の両面での捜査を進めているが…。最後までミステリアスさを残したまま、この世を去った坂井さん。人々を勇気づけた名曲の数々は永遠に語り継がれ、歌い継がれる。
by negative_opinion
| 2007-05-29 23:36
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