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「自分勝手な人ばかりの世の中。」と題して以前にも書いたが、事件が起きるたびに改めて思う。
秋田の娘と男児殺害の畠山容疑者、長野連続放火の「くまぇり」こと平田容疑者、それから、奈良放火事件の「少年の親」には、「自分しか愛せない大人」の姿を感じる。堀江被告もそうだし、村上被告もそうだ。最近、話題の事件に共通する人物像である気がしてならない。 身勝手な自己顕示欲、自分の都合の押しつけ、自分の行為によって他人が被る悪影響や被害に対する配慮の欠落…。社会生活を成立させるために、誰もが持つべき節操を制御できない人が、平気で齢を重ねて社会人や親になっている。 そして、程度の差はあれ「自己愛」を押しつける大人が身の周りで日常化していて、一方で、隣人を愛する感情や行為を「偽善」と片付ける人も多くなった気がする。かつて欧米流の自己主義を都合よく解釈して、「個性」という言い分で周囲に配慮を欠いた自己顕示が横行し始めたのが原点なのかも知れない。欧米の自己主義は、前提にキリストの「隣人を愛せ」という躾があるから成り立つのだと思う。 若い衆がユルい身なりで通行人の都合も考えず地べたに座ってウダウダとマッタリしている街は個性的か?若い衆が、どいつもこいつも同じようなヤツにしか見えないという意味では、極めて没個性的だ。ただ、若い衆が没個性的なのは今に始まったことじゃなくて、昔からそうだ。いつの時代も発展途上の若者は心の中でお互いの姿を気にしながら似たような格好しか出来ないものだ。 結局、ほとんどの人は群れたがる。すなわち、人は居心地の良い何らかのグループに帰属したがるもので、その証を身なりで表現するだけだ。そのグループの中での個性など、傍目には微小な違いで見分けがつかない。2頭のシマウマのシマのパターンの違いなど、個性とは思えない。1頭だけ白地に赤のシマになっているシマウマだったら個性的だが、そんなシマウマは生きて行けない。 それから、目のやり場に困るセクシーな身なりの女性が交通機関の車内で化粧をする様子は、昔なら、まるで出勤途上の売春婦(実際、彼女の中の相当数が援助交際と称した売春をバイト感覚で行って性感染症を撒き散らしている)だ。しかし、本人にとっては、これが颯爽たるカッコ良い個性。男の視線を集める自分の姿は、まるでファンの視線を感じながらスタジオへ向かう売れっ子アイドルの気分だ。売春婦やキャバ嬢など水商売のプロなら自己顕示が営業活動の一つだから仕方ないかも知れないが、少なくとも私にはチープな印象で決してカッコ良いとは思えない。その前に、性の対象として自分をさらけ出すような挑発的な身なりをすることについて、良心の呵責というものは無いのか? 何も、見知らぬ隣人をベタベタに愛して尽くせと言うつもりはない。普通、誰だって我が身が可愛い。私もそうだ。生死に関わる究極の場面で自分自身よりも他の人を優先できるか?…と言えば、せいぜい「血の濃い順」か「配偶者」で、人により一等親の範囲なら自分よりも優先する場合がある程度だろう。 だが、そんな究極の話を持ち出して、「結局は最後は自分が最優先じゃん?所詮、アンタは偽善者だよ。」と指摘するヤツは、安易に楽な方向へ逃げているだけの卑怯者だと思う。 少なくとも自分がイヤだと思うことを他人にしないようにするとか、たとえ見返りが無くても見知らぬ他人に何か自分の行動で貢献できる事を考えるとか、その程度の節操と配慮を、自分の欲求より優先させれば良いだけなのだ。 そんなこと100点満点に出来るヤツなんて、いないと思う。だからと言って、どうせ出来ないから0点で構わない、自分一人やっても世の中変わらないし、やった所で変わらない、と居直るべきでもない、と言いたい。「何点以上の基準が必要?」などという指摘もあるだろうが、そんなもの、クソ食らえだ。永久に辿り着けない100点を目指して一生かけて葛藤するのが人生じゃないのか? 何も大それた事じゃない。日常の小さな出来事の積み重ねだ。逆に、大きなモラルの崩壊は小さな事から雪ダルマ式に膨らんだ結果だと思う。それが今の世の中だ。だからこそ、日頃から他人に対する節操と配慮を本気で常に考えて行動する習慣があれば、冒頭の事件は起きなかったと思う。 環境問題だって、一握りの巨大企業に任せたところで焼け石に水だが、皆が1割、2割でも目先の快適さを我慢してエネルギー消費を抑えるだけで大幅に改善できるし、逆に欲望を抑えずにエネルギー消費を拡大すれば、何をやっても地球温暖化は抑え切れない。 格差社会、エネルギー問題、環境問題、治安の悪化…、何もかも私を含む、「今の自分しか愛せない」人が積み重ねて来た「些細なワガママ」が積み重なった結果なのだ。人間の欲望とは、エントロピーのように増大する一方…というのが現実だろうが、人間の欲望と人類の破滅をバランスさせる基本概念が、「他人への愛情(思いやり)」と、「節操という自制」なのだと思う。 最初の問題に戻ると、問題の本質は本人の節操や配慮の欠如を責めることではない。生まれた時は誰もが裸の赤ん坊だ。その後の「育ち」を責めるのが本質だと言いたい。 例えば、「くまぇり」の父親は娘の行動を何ひとつ把握しておらず、「娘を信じる」と報道関係者に応えていた。私には「無責任な放任」としか思えない。TV報道によれば、中学の文集に自分の不良ぶりを反省というよりも笑いのネタ振りのごとく赤裸々に綴っていたようだが、これを異常に思えない家庭と学校は躾と教育を放棄している証拠だ。TV番組「カミングダウト」で調子に乗って顰蹙を浴びた「あびる優」と同じだ。「くまぇり」を非難するのは簡単だが、私はこの女を躾けた親と学校に対して、最大限の非難をしたい。「原因はお前らだ」と。 飯島愛が数年前、自分の過去を赤裸々に本に綴って、ドラマ化されるほどチヤホヤされたことがあった。それがきっかけになり、今や文化人気取りで女性のオピニオン・リーダーとなっている。 彼女は、ちょっと物事の捉え方が賢く、場の空気を読んで役割を踏まえた突っ込みが鋭いだけだ。今どきは、それも「芸」なのかもしれないが、女優や歌手として秀でた芸があるでもない。セックスの演技も平凡なAV女優に過ぎなかった。自慢の胸も整形だ。そんな女でも一冊の告白本がヒットすれば日頃のキャラと相まって免罪符になり、過去の不良を帳消しにするどころか世間の同情を集め、カッコ良くカワイイ女ともてはやされるわけだ。これは、飯島愛に世間をナメない一面があって、要所勘所を外さない賢さがあるためかも知れないが、やはり奇跡的な綱渡りで、一歩間違えれば「あびる優」だ。 中学当時の「くまぇり」は飯島愛の告白本に感化されてカッコ良いと勘違いしたのではないか?と勘ぐりたくなる。赤信号は、有名人が渡り切ってしまえば青信号だと言えるのか?赤信号は赤信号だ。青になるのを待っている方がバカだと言わんばかりの態度は、世間をナメている。 それよりも、逆に言えば自分の不良ぶりを学校の文集でカミングアウトするような世間をナメた行為が、ニュースにもならないほど日常化しているのだろうから、そこに恐怖感がある。信号があっても誰も信号に従っていない交差点を渡るようなものだ。 いずれにせよ、世間で「親」、あるいは「大人」、または「先輩」の立場として、誰かに自分の「背中」を見せている限り、私も含めて全員に関わる問題なのだと考える。 <長野連続放火>逮捕の女が不審火写真を地元紙に投稿 [ 07月11日 20時26分 ] 放火容疑で逮捕された長野県諏訪市湖南、飲食店手伝い、平田恵里香容疑者(20)が、今年4月17日未明に起きた不審火を撮影し、地元紙に掲載されていたことが分かった。平田容疑者の自宅近くで資材置き場が炎上する様子を、携帯電話のカメラで撮影したとみられ、「近くの住民撮影」として信濃毎日新聞の同17日夕刊、18日朝刊(統合版)に掲載された。 平田容疑者のホームページの日記には「近くで火事があり大騒ぎでした。夜中サイレンの音で飛び起きました。ほんとに近くでビックリしたよ」などと書かれ、ページ内の掲示板には「火事の写メ撮ったら今日の信濃毎日新聞に載ったよ」「たまたまあの時写メとったんだ」などと書かれていた。 同社によると、火災現場を取材した記者が、同容疑者が撮影していたことを知り、提供を受けたという。同社総務部は「通常の取材活動であり、特にコメントはない」と話した。【江連能弘】 <奈良放火>高1長男を放火と殺人非行で、奈良家裁送致 [ 07月12日 23時47分 ] 奈良県田原本町の医師(47)方で母子3人が死亡した放火殺人事件で、奈良地検は12日、高1の長男(16)を現住建造物等放火と殺人の非行事実で、奈良家裁に送致した。「取り調べなどで一度も涙を見せず、反省の情に乏しい。公の場で事件を明らかにし、反省させる必要がある」として「刑事処分相当」の意見書を付けた。奈良家裁は同日、2週間の観護措置を決定、奈良少年鑑別所に長男の身柄を送った。 送致書などによると、長男は6月20日午前5時ごろ、自宅1階の台所などの床にサラダ油をまき、ガスコンロでタオルに火をつけ、階段下にあったビニール袋などが入った布袋に落とした。さらに近くにあった封筒や紙くずを燃やしてから逃走し、3人を一酸化炭素中毒死させた。 地検は、殺意について「2階に3人が寝ているのを知りながら、唯一の逃げ道の階段に火をつけた。3人が死ぬのは分かっており、確定的殺意に近い」と判断した。 長男は6月初旬、中間テストの英語の結果が悪かったことから、成績に厳しかった父親を殺害することを決意。放火する数日前の深夜、父親を殺そうとバットを持って寝室に向かったが、父親がトイレに立ったため、断念した。家族全員がいた犯行前日の同月19日未明にも、放火を決意。「寝過ごして明るくなったので、ばれると思った」と供述している。 また、長男は「嫌な思い出しかない家をこの世から消し去りたかった」「家が灰になってすっきりした。勉強を強制される生活から逃れられた」と言っているという。 弁護士は12日、寛大な措置を願う嘆願書が約2000通集まったことを明らかにし、「家裁の審判手続き中に提出する」と話した。また、保護処分を求めるとした。 家裁の観護措置は最長8週間。この間に家裁が、少年院送致などの保護処分か、刑事処分相当の検察官送致(逆送)かを決める。【高瀬浩平、花沢茂人、石田奈津子】
by negative_opinion
| 2006-07-17 11:44
| 社会
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