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山中教授のノーベル賞で、iPS細胞への期待がますます広がっているが、私はiPS細胞に限らず医療技術の高度化や新薬の登場による難病完治の無邪気な夢に疑問がある。
現代医学に見放された難病や障害をもつ当事者の心情を思えば、もちろん治療の選択肢は増やすべきだし、希望を示すべきだ。 しかし一方では、今でさえ医療・介護の社会保障費で国家財政が破綻しているのに、医療技術の高度化や特効薬の登場も、経済合理性が両立しなければ社会の歪みを助長する。本気で難病や障害の当事者にあまねく新技術や特効薬を届けるためには、そういう現実に今から向き合うべきだ。 以下、思いつくままに経済合理性の問題や懸念を記す。 研究費自体は助成金の増額に希望の光が差し込んで来たが、臨床応用と普及には事業化が前提だ。ぶっちゃけ新薬の開発は製薬会社のビジネスである。モノによっては1つの新薬だけで年間数百億円の資金を使い、少なくとも10年の期間を要すると言われている。しかも、10年かけて開発しても不測の副作用が開発途中で発覚したり、リスクよりもメリットの方が大きいと判断して当局へ申請しても、当局が認めなければ開発中止になる。製造するにも何十億、何百億もの設備投資が必要だろう。締めて何千億円ものカネを投じて、元が取れなきゃビジネスにならないし、問題が起きれば何千億がパーになる。 日本が海外よりも新薬の審査が遅い理由は、当局の規模や陣容が貧弱なせいだ・・・という指摘があり、おそらくその通りだろうと思うが、日本は過去の薬害の悲劇と社会的な非難を受けて、当局が外国と比べて審査を厳しくして来た経緯もあると思う。今後の薬害回避を絶対担保するには、新薬を一つも認めなければ良いわけで、審査当局は基本的に認めたがらないようだ。何しろ伝え聞くところによれば、審査官は新薬の申請が潰れると喜ぶそうだ。まるで新薬の申請が悪者で、悪者をやっつけたヒーロー気分である。 めでたく承認されても患者数が少なければ、儲からないどころか1つの新薬だけで何千億もの損を垂れ流す。年間百人の患者しかいなければ、1錠1億円で売っても元が取れないだろう。いったい、誰がその薬代や医療費を出すのか?製薬会社に押しつけて、慈善事業を期待するのか?皆で支えるなら保険適応にするしかないが、今でさえ破綻しているのにトドメを刺すだろう。 自ずと保険適応の考え方を見直して、これまで保険適応だった病気の治療を自費治療にして、何でも医者任せにして3割負担だけのコストで治してもらったカネを高度な医療に振り向ける・・・、といった制度の「革命」をしないと成り立たないはずだ。直感で述べれば、生死に直結する重症(重傷)や生涯にわたる重大な障害に関する治療だけを保険適応にして、それ以外の医療は全て自費負担にしないと、今後の高度な医療は成り立たないのではないか? それから、開発費の多くを占めるのが臨床試験と言われているが、日本では治験コストが高過ぎるため、海外で臨床試験を行い、皮肉なことに日本のメーカーが日本製の新薬を海外で先に商品化するそうだ。その高過ぎる治験コストの理由は、治験に参加する被験者がいなくて、カネで釣るしかないとのこと。「伝説の高額バイト」という都市伝説で言われる被験者への謝礼が日本では莫大になるのだ。 「安心・安全の担保」が大好きな日本人だから、少なくとも健常者にはワケの解らない新薬の試験にボランティアで参加する動機が無く、「高額アルバイト」で釣るしかないわけだ。 それから、患者相手の臨床試験では、効果を統計学的に立証するため、被験者を2つに分けて、本物の新薬と、新薬のプラセボ(偽薬)を与えて比較する。藁にもすがる気持ちの患者にしてみれば、二つのリスクがあるわけだ。すなわち、「効かないプラセボを与えられるリスク」と、「新薬の不測の副作用リスク」である。 生死の境を彷徨っている患者に、手遅れになる前に特効薬を使いたい局面で、プラセボかも知れない薬を与えられるなら、そんな挑戦をするよりも、効き目が弱くても実績のある今ある薬を選ぶのが日本人の性根である。 じゃあ上手く行ってる米国は?と言えば、国民皆保険が無い代わりに、極貧の人達にボランティアをさせているのが実態だ。そもそも貧乏人とカネ持ちは、行く病院が違うようで、貧乏人相手の病院は、効き目が乏しくても安い薬を使うし、副作用が酷かろうが手術のリスクが高かろうが、障害が残ろうが、安い医療技術で対応する。 そういう貧乏人の逆転ホームランこそ、新技術や新薬の治験ボランティアだ。効かないプラセボかも知れないし、不測の副作用で死んだり障害が残るかも知れないが、何しろ特効薬の可能性がある医療技術や新薬を無料で提供してくれる。チャレンジングな国民性の米国人に頼って治験が安く行われるわけだ。 こういう話を知ると、日本的な結果平等主義よりも米国流のフェア精神の方が合理的に思えて来る。米国で健康保険制度に根強い反対と抵抗があった理由が今さらながら解る気がする。 山中先生のノーベル賞と今後の医療の進歩を無邪気に喜び、早期実現を期待する能天気な人は多いが、経済合理性を考えると、結局は国民皆保険の恩恵を受けている大多数の国民と、健康保険を食い物にしている医療関係者の既得権や生活基盤を放棄させないと成り立たない問題と思う。 それがイヤなら・・・、「iPS細胞なんて迷惑な技術は日本でやらずに外国で実用化してくれ!」という論陣を張らなくてはならない。能天気な日本の皆さんは、そういう事までつなげてiPS細胞の実用化を期待しているのだろうか? 山中教授が晴れの記者会見で含みのある硬い表情を崩さないのは、本気で実用化したいだけに、経済合理性を打開する高いハードルの多さに苦悩があるからじゃないか・・・、と思う次第だ。
by negative_opinion
| 2012-10-13 15:54
| 日本人の性根
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