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先ず、「陰口を言うこと」は人道的に卑怯である。
辞書によれば、「卑怯」とは「勇気のないこと」であり、「正々堂々としないこと」と書いてある。 せいぜい昭和40年代中頃までの一般家庭における子供に対する躾のポイントは、「他人に迷惑をかけるな」と「卑怯な事をするな」が多かった。そして、「正義のヒーロー」と「勧善懲悪」がドラマのテーマとして成立していた。自ずと、卑怯を戒める一環として「他人の陰口は言うものじゃない」と躾けられた人は多かったと思う。 そもそも「卑怯者」は基本的に信用されない。たとえ自身に被害が無くても卑怯な人がいるコミュニティでは鬱陶しく(今風に言えば「ウザい」)思われ、いずれ嫌われるものだ。心ある人なら周囲の信用を得たいし、嫌われたくないから、卑怯な振る舞いを慎むものだし、それが軽率な言動の「抑止力」になるものだ。この力学は、今でも実社会の常識として辛うじて成立していると思う。 しかし、正義を貫くと損をしたり、正義感ぶってるオトナが卑怯者や偽善者だったり・・・、といった話が増えて、今どき「正義」を語ること自体が嘘っぽくなって来た。オトナ自体が自信を無くして堂々と正義の言動を貫く親も教師もいなくなった。そういうオトナに絶望した子供がオトナになって親や教師になり、卑怯を慎む躾を受けずに育つ子供が再生産されて、社会のモラルが加速度的に崩壊した。 しかも、この15年余でインターネット社会となり、誰もが匿名で言論の自由を謳歌できるようになった。匿名だと先述の「抑止力」が利かなくなるのは明らか。しかも、バブル崩壊と少子高齢化で右肩上がりの成長が構造的に終焉している。多くの人が既得の生活基盤を失う不安やストレスを抱え、将来展望が持てない。いちど生活基盤を失った人は元の生活水準に復活するのは絶望的。自ずと今の生活基盤にしがみついている大多数の人達は保身とリスク回避で精一杯。となれば、大多数の人達にとって、次の動機や感情が膨らむのは自然の流れだ。 1.匿名性があるネット上では、抑止力が利かず卑怯な言論が可能。 しかも、抑止力が利かないから感情論がムキ出しになり、無限に増大する。 2.不安やストレスに対する不満のはけ口を求めたい。 匿名なうえ叩く相手の顔がリアルに見えないと、抑制が利かなくなる。 気に入らない人に対して自身の手で直接殺害するほどの殺意も無いのに、 死んでも構わないと考え、死んで欲しいと発言し、匿名の陰口であれば たとえ他人を死ぬほど精神的に追い込んでも当事者意識が生じない。 3.手詰まりな状況と思考停止にともなう、過剰な期待と依存心の増大。 「誰か、何とかしてよ~・・・」という心境。 突き抜けた結果を出した人は賞賛され、依存的に期待される。 4.正義への絶望と不信がもたらす疑心暗鬼と偽善に対する過剰な怒り。 5.正論・筋論に対する原理主義化と整合性の厳格化。 「私は我慢しているのに、他人のルールの逸脱は許せない!」 6.妬み・嫉みがもたらす強者や上位者への反感。 「出る杭を打ちたい気持ち」 7.内向き志向と共感が自制心を失わせる。 「内輪」で大勢の共感があれば、異質を排するための卑怯な言動も免罪符? 私は学者や専門家じゃないので客観的な事実にもとづく体系的な分類や考察も出来ないが、「ネウヨ」「ネトウヨ」「ネット右翼」と呼ばれる人や「ネチズン」「ネット市民」「ネット庶民」と呼ばれる人達の「ネット世論」は、概ね以上の要素で言論の背景や動機を説明できるのではないだろうか? 所詮は私も「ネウヨ」っぽい「ネット庶民」の一人であり、私自身が卑怯者だ。 そして、卑怯は「良し悪し」とか「他人から赦されるかどうか」の問題でなく、自分自身が「自身の卑怯を赦せるか?」という「生き様」の問題だ。少なくとも私は自分自身を赦せない。恥に思う。正当化しようとすればするほど、惨めになる。 エンタメ総合 - エキサイトニュース ネットで嫌われる芸能人の共通点 2011年10月19日 11時00分 三池崇史監督の話題作映画『一命』(松竹)で、主演を張りながら公開初日の舞台挨拶に欠席した市川海老蔵に批判のコメントが多く寄せられている。彼が欠席した理由は、名古屋での歌舞伎公演のため。仕事の都合上仕方のないことのように思われるが、ネットでは、「あれだけ叩かれてなお初日に顔を出さない神経が信じられない」や「わがまま」「何様だ」と非難の嵐。昨年の暴行事件以降、海老蔵関連の記事に寄せられたコメントのほとんどは、こうした非難で埋め尽くされている。 この海老蔵と同じような状況にあるのが、8月に芸能界を引退した島田紳助。引退以前からネット上はアンチ紳助の多い場所だったが、引退以降になるとそうした輩が急増。暴力団関係者との黒い交際という引退理由は、紳助を公然と非難できる免罪符になってしまったのかもしれない。また、彼らと同様に、何をやっても非難されるのがアグネス・チャンだ。 今月8日、ユニセフの大使としても知られるアグネスは、自身の公式ブログ(「アグネスちゃんこ鍋」http://ameblo.jp/agneschan/)で、ソマリアへの募金を呼びかける内容を配信。これに対しネット住民は即座に反応、多くの書き込み掲示板で話題に上がり、「日本が震災で大変な時期にバカなことを言うな」や「相変わらず空気よめない」「無神経」といったコメントが寄せられた。 ユニセフ大使として募金を呼びかけただけでこの有様。アグネスの嫌われようは、海老蔵、紳助にも引けを取らない。そんな彼女への批判の大きな理由は、彼女が大使を務める日本ユニセフ協会という団体への不信感と、アグネスの持つ胡散臭さ。都内一等地に巨大なビルを構える日本ユニセフ協会は、ニューヨークに本部を置く国際連合児童基金(ユニセフ)との協定といって、募金から経費を差し引くいわばピンハネを公然と行い、募金ビジネスと叩かれることもしばしば。そんな団体の大使の座に就くアグネスも、「子どもの未来のために募金を」と言いながら、センスのかけらもない豪邸に住んでいる。 2010年の春に放送されたテレビ番組で自宅を公開したアグネス。「社会にはびこる害から子どもたちを守る」という彼女の主張は大変立派なものだが、そんな大層なことを言って募金を呼びかけながら、自分はシャンデリアの輝く豪邸に住んでいる......。彼女のこうした態度にネットユーザーは激しく反応。以降ネットでのアグネス批判は過熱していった。 アグネスは、ネットで巻き起こった「自宅が豪華すぎる」という批判に対し、ツイッターで「あれは事務所です」と反論している。しかし、ネットユーザーたちにとって、そんなことはどうでもいいのかもしれない。彼らを突き動かすのは、「子どもの未来のため」と言いながら、豪華なシャンデリアを自慢する中年女性から漂う"嘘っぽさ"だ。言い換えれば"偽善者の臭い"。もちろん、これはネットユーザーたちの勝手な憶測に過ぎない。本当のアグネスは聖人かもしれない。彼女がどういう人間なのか、それは誰も知ることができないのだから。 ただ、人を評価する上で、イメージや印象、当人から漂う雰囲気というのは、大事な指標になる。心の中が見えない以上、それしかないともいえる。ネットユーザーは、メディアなどから漏れる情報を元に、アグネスのイメージを作り上げ、そこから抱いた印象に忠実に批判を繰り返しているに過ぎない。彼女がどう反論しようが、それはどうしようもないことだ。しいて言うなら、そんな印象を抱かせてしまった自分がいけない。 紳助や海老蔵もまた同じだろう。彼らには、騒動の以前から"どこか嫌な感じ"があった。その要因は、たびたびメディアを通じて報道される、酒癖の悪さや女癖の悪さだったり、「素敵やん」と呟きながら後輩芸人を恫喝するお山の大将ぶりだったりとさまざま。そういった全てを総合して、彼らには"嫌な感じ"が漂う。そして彼らは騒動を起こした。批判を繰り返すネットユーザーにとってみれば、「それ見たことか」ということなのかもしれない。 有名人に非難の言葉を投げかける人々のほとんどが、本人には会ったことがないだろう。しかし彼らは有名人の人間性まで否定するコメントを書く。テレビや雑誌から得た情報に過ぎないにも関わらず、どうしてそこまで書けるのかと思ってしまうようなものもある。ただ、一般の人々にとって有名人とはそういうもの。そういった批判にさらされるのが嫌なら、どうにかして清廉なイメージを与えるか、有名になったことを後悔しながら気にしないことしかない。 ネットの世界は、雑誌やテレビなどと違って出回った情報を半永久的に残す。ネット上で飛び交った非難の言葉は消えることがない。海老蔵、紳助、アグネスらは、もはや何をやっても非難され続けることだろう。最後に、いちおう断っておくと、こういった偉そうな記事もまた、ネットでは非難の的となる。 (文=峯尾) “悩む28歳”85%が将来像描けず、4人に3人は「特に行動していない」。 2011年10月19日 14時37分 リクルートが運営する転職サイト「リクナビNEXT」は10月19日、全国の28歳のビジネスパーソンを対象に実施した「自分の将来像」に関するアンケート調査の結果を発表した。その結果、自身の将来像について悩む28歳の姿が浮き彫りになっている。 この調査は10月7日〜11日に、男性150人、女性150人の計300人を対象にインターネットで行ったもの。まず、「あなたは今、『5年後、10年後、20年後に自分がどんな環境で、どんな仕事をしている』という将来像を、具体的に描けていますか?」とたずねたところ、「描けている」は14.7%にとどまり、「描けていない」は85.3%だった。 では、具体的になぜ将来像を描けないのだろうか。選択肢を用意した上で回答してもらったところ、トップは「漠然とやりたいことはあっても、具体的にどんな仕事なのかイメージがつかないから」(21.5%)で、以下、「目先の仕事が忙しくて考える暇がないから」(19.5%)、「世の中がめまぐるしく変化しているので考えても意味がないから」(12.1%)、「自分の好きなこと・嫌いなことが何か、わからないから」(11.7%)、「自分の得意・不得意が何か、わからないから」(10.5%)、「将来像が描けていないことに焦りや不安を感じないから」(10.2%)と続いている。 そうした状況を踏まえ、さらに「現在、『自分がなりたい将来像』を見つけるべく何らかの行動をしていますか?」と質問。すると、「見つけるべく行動している」は24.6%と、約4人に1人は将来のために何らかの行動をとっているものの、残りの75.4%は「とくに何も行動していない」と回答した。 そこで実際に行動している人に対して、どのようなことをしているのかたずねると、トップは「友人に会って話を聞く」(38.1%)に。これに「ビジネス本を読む」(34.9%)、「先輩や上司に話を聞く」(28.6%)、「ネットで仕事・キャリアについて検索」(28.6%)、「新聞や雑誌で情報収集」(23.8%)、「自分のキャリアを棚卸し自己分析」(23.8%)などが続く結果になっている。
by negative_opinion
| 2011-10-19 21:01
| 社会
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