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神輿(就職先の会社や組織)は「担ぐもの」であって、担いで祭(業績)を盛り上げるには、相応の修行が要る。華やかな所で神輿を担げるのは、皆が認めるだけの下積みに耐えたからだ。見た目や要領の良さだけでは担げないし、潰れてしまう。潰れて危なく格好悪いのは本人だけの事じゃない。皆が迷惑する。企業や組織の仕事も同じだ。
それから、仕事とノウハウは、必ずしも逐いち手取り足取り教えてもらえるものじゃない。プレッシャーの中で自分なりに高い意識でやっている内に感覚的に覚える勘所があるものだ。いくら忙しくても、所詮はルーチンワークをこなしているだけなのに、自身の成長に不満を募らせている人がいる。駆け出しの頃の私だ。もし、そういう人がいるなら、自身が抱いている不満を含め、そこら中に転がっている問題や課題を自分事として受け止めていない証拠だ。いわゆる「甘ったれ」である。上げ膳・据え膳に慣れて思考能力が退化した、依存心の強い人だと思う。 諺では「石の上にも三年」と言うが、余程の幸運と才能と努力が噛み合わない限り、並の新卒が3年で成し遂げられる事は限られている。目指すレベルと環境にも拠るだろうが、いずれにせよ私なら少なくとも5年は要ると思う。 新卒から3年で消極的な理由から退職を考える人がいるなら、そういう人に問いたい。 そもそも就職する際に誰に言われるまでもなく、自ら3年後の成長した理想像をどこまで具体的に描き、しかも、そうなるための道筋を自分自身で描いて実行したのか?恐らく、無知の現実がある中で、具体像を描くことは不可能だろう。最初の3年は、将来像を描くための準備期間である。それが出来ていれば、不満や絶望感を抱く前に謙虚な自省の意識が生じるはずで、自ずと次の3年に向けた建設的な発想が出て来るはずだ。 最もありがちなケースと思うのは、就職先の企業や組織が「何もしてくれない」と感じる不満や絶望感である。将来像を保証つきで勤務先に求めるのは無茶な望みだ。例えば、医学部に進学すれば金持ちの医者になれるのか?そんな保証は無い。 私の場合、就職先に対して最初から多くを期待していなかったせいか、仕事の必要性を感じたら、その都度、何でも独学した。幸運だったのは、上司や先輩、社外の人に教えを乞うと、それなりに教えてくれたことだ。逆に会社から何か機会をくれると、どんな事でも有難く、幸運に思えた。 「上げ膳、据え膳」の至れり尽くせりな育ちに慣れてしまうと、そういう感覚が退化するのだろう。本人が望んでそうなったワケじゃないだろうから気の毒だ。だが、気の持ちようでハッピーになれる。 もちろん、たとえ就職先の組織に悪気が無くても、経営環境の変化で約束を果たせない状況は大なり小なり生じるものだし、組織として教育プログラムがあったとしても、実態として上手く機能していない場合もある。 だったら、そういう自分の経験や不満を解決して後輩に同じ思いをさせないようにするには、どうすれば良いかを考えて実行し、実現しようと行動するのが建設的だ。並の人が会社のキャリアを犠牲にする覚悟で必死にやっても、5年から10年かかるだろう。何しろ、入った学校の教え方に不満を持って、学校の教育マニュアルや指導要領を改訂させるようなものだから。 だが、真の意味で会社や組織の発展させて来た人は、多くの場合、そういう人達である。私の場合、最初の3年間は丁稚のような毎日に欲求不満で飲んだくれ、その後の3年間で修羅場のような状況に放り込まれて試行錯誤し、それから3年かけて万感の思いを込めて後輩を育て、業務マニュアルの整備や改訂に加わり、会社にわずかな足跡を遺したつもりだ。今にして思えば、駆け出しの頃にクビにされず幸運だった。 「就職したら、思ったほどオイシクなかった」→「つまらない」→「歳とる前に出直したい」→「取り敢えず辞めよう」と考えて飛び出した人を、わざわざ厚遇で迎え入れる企業や組織があるなら、それは余程その人の即戦力となるスキルや無形資産(例えば、ビジネスのノウハウや、ビジネスの関連情報)に価値を感じたのだろう。 私は知人や友人の中に新卒から3年で物凄い価値を構築し、会社を辞めて起業したり転職した人を知っているが、そのような人は極めて限定的だと思う。起業や転職の覚悟があるなら、クビにされて元々という気持ちで社内の課題に取り組み、納得できる結果を出してから、その実績を引っさげて転職を考える方が得策だ。 働く意欲は入社2、3年目で急降下!?調査でわかった“若者が3年で辞める”本当の理由 2010年2月16日 09時15分 2006年に発売され話題となった『若者はなぜ3年で辞めるのか?』という新書のタイトルを覚えている人は多いのではないだろうか。同書では、努力したからといって必ずしも報われるわけではない現状に置かれた若者たちの抱える閉塞感を書く一方で、「3年で辞めた」後に想定される厳しさも説いた。 同書が発売されてから約2年後に起こったリーマンショックの影響もあり、氷河期にせっかく就職できた会社を「3年で辞める」ことを考える若者は減ったかもしれない。しかし、入社2年目、3年目となるに従いモチベーションが下がる傾向には変わりがないようだ。 JTBモチベーションズが今年1月、入社1年目~3年目(22~25歳)の若手社員を対象に行ったアンケートによると、「さらに成長したい」「今の会社で働き続けたい」といった仕事に対する意欲は、入社2、3年目で低下するという結果が出た。 「今の仕事に喜びを感じている」に「あてはまる」「ややあてはまる」と答えた入社1年目は合わせて57.2%とだったのに対し、入社2年目で計36.9%、3 年目で28.2%と減少している。「今の会社で働き続けたいと思っている」「さらに成長していきたい」「今の仕事が好きである」の項目についても同様に肯定的な回答が減少する結果だった。 JTBモチベーションズでは、「過去の調査で、ゆとり世代が働くことに求めるものは『人間としての成長』であることや、モチベーションの促進・阻害要因として成長実感が強い影響を持っていることがあきらかになっている」とした上で、入社2、3年目で意欲が低下する傾向については「目標達成による成長、研修受講、自己のふりかえり、ストレス発散ができなくなることや職場の人間関係への満足度が影響している可能性」を指摘している。若手社員の多くにとっては、報酬や安定性よりも、「自己の成長」がモチベーションにつながっている現状があるようだ。 ここで1つ考えられるのが、1990年代後半の就職氷河期から始まった厳しい就職活動による弊害。度重なる自己分析や「なぜ入社を志望したのか」「会社で何ができるのか」「どう成長していくつもりなのか」といった考えを盛んに求められれば、入社後も「これだけ自分で考えることを求めてくる会社ならば、自分はさらに成長できるはず」といった方向に自然と考えが向かうだろう。 さらに、相次ぐビジネス的自己啓発本のヒットに見られるように、「上昇志向を持つこと」がビジネスパーソンの必須項目であるかのような刷り込みがある。常に前進している実感がないと焦りを感じるのだ。入社1年目では業務についていくことに必死になり、目に映るものも新鮮だが、2年目に同じ仕事をしているというだけで、今の若者は「停滞では」と感じるのかもしれない。希望する会社に入れなかった新入社員ならなおさらのことだろう。 しかし、この状況を上司側から見ると、「成長できるかできないかは会社よりも自分次第」「忍耐力が足りない」ということにもなる。 同じアンケートでは、上司が若手社員に最も期待するのは「困難を克服する力」(40.5%)であるのに対して、若手社員が今後最も伸ばしたいのは「新しいアイデアや工夫を生み出す力」(42.7%)という結果も出た。 上司が「現状を踏まえ、この状況で自分が何をできるかを考えて欲しい」と思う一方で、若手は違う方向を向いている。第1に考えるのは会社の成長か、それとも自分の成長か。そもそもの前提に、世代間のギャップがあるようにも感じられる。 (プレスラボ 小川たまか) それから、何につけても発想の起点が「利己」なのか、それとも「利他」かで、物事の判断や見える風景が違って来ると思う。私は後者の発想を推奨する。 利己やエゴを押しつけ合い、奪取や略奪を繰り返して来た欧米人が、近年になって「Win / Win」とシタリ顔で言うようになった。明治以降、盲目的に欧米流を追従して来た日本人まで Win to Win が最新のビジネス・スタイルだと言う時代である。しかし、利他的な発想が最も効率よく自分を利するという真理は、元々は日本古来の商道徳だったと伝え聞く。 ビジネスに限らず、躾や教育、あらゆる人間関係をはじめ、組織と個人の関係、おおよそ人が行う言動の全てに対して、「利他的な発想を起点にする」という考え方が流用できると思う。 ところが、現実には利己的な仕打ちに傷つく者が多い。 例えば、目先の享楽で避妊もしないで望まない妊娠をして出産し、あるいは軽薄な覚悟で親になり、挙句の果てに育児を放棄する親がいる。今や日常茶飯事だ。それから、一見、子を大切に育てている親でも、上げ膳・据え膳子のベタベタな子育てをする親がいる。私の親も、親としての私も否定できない。だが、上げ膳・据え膳の子育ては、子の自立を阻む。いかに「子のため」という大義を振りかざそうとも、結局は親の都合の押しつけに過ぎない。学校教育も教師も、指導要領を象徴とする教育プログラムの遵守とトラブルやクレーム回避の保身で精一杯。その先にあるのは利己的な「自分だけの安堵」である。 こういう利己的な親や教師に育てられた子が利己的になるのは自然の流れだ。傷つく被害者は子である。 しかも、子が社会に出れば、否が応でも利己的な社会環境やビジネスの渦中に巻き込まれる。 本音の部分で労働力の搾取しか考えない雇用主や管理職は現実に存在する。それどころか、社会に出ようとする段階で、少なからぬ人達が就業そのものを拒否されている。私が今の時代で新卒だったら、私は就職できなかったと思う。これから就職する人達は気の毒だ。しぶとく生きて欲しい。状況に向き合って、強くなって欲しいと願う。 こんな私が偉そうに説教する資格は全くないし、そんな気も無い。ただ、エールを込めて書きたくなった。私自身の事として考えている突破口が、「利他的な発想」である。 ただし、利他的に考える事は決して無私無欲の「お人好し」になる事でなく、相手の言いなりに甘んじる事でもない。 むしろ、誰よりも利己的な発想が出来ないと、利己的な相手の要求に呑み込まれてしまう。相手の手の内や真意に思索を巡らせた上で、相手の期待の3割を超える貢献をするための道筋を考え、それを相手に解りやすくアピールし、一方では自分自身の欲求や要望と折り合いをつける。自ずと膨大な準備をはじめ、生涯にわたる我慢と辛抱が必要になる。
by negative_opinion
| 2010-02-16 15:27
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