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人は、死んだら終わりだ。
中川氏の場合、 国政に何かやり遂げたい志があったとしても、 落選の挫折から立ち直りたくても、 支援者や親族に恩返しがしたくても、 色々な人から好き勝手言われ、詮索されて、 ナニクソ精神で頑張りたくても、 反論したくても、 死んでしまったら何も出来ない。 本人はアノ世で悔しいかも知れないし、 気楽になれたと喜んでいるのかも知れないが、 いずれにせよ現世の状況は変わらない。 未だ生きている人達に言いたい。 お互い、生きている間は尊重しあって生きましょう。 冗談でも誰かに死ねとか死んで欲しいと願うのは、やめましょう。 どの道に行っても、自分のことを批判する人と無視する人が ほとんどだけど、自ら死ぬのは、やめましょう。 出来れば一人でも多くの人から「ありがと」と言われる人になりましょう。 お互いに・・・。 自宅で急死・中川昭一元財相 見えなかった「復活」への意思 2009年10月4日 15時20分 ( 2009年10月4日 15時25分更新 ) 中川昭一元財務・金融相が2009年10月4日午前、東京都世田谷区の自宅寝室ベッドで死亡しているのが見つかった。死亡時刻は3日の23時前後と見られるが、目立った外傷はなく、事件性は低いと見られる。現在のところ遺書なども見つかっていない。 ホームページでは「決意表明」も あまりの突然の死に、政界関係者も動揺を隠せない。中川氏の父、一郎氏の秘書だった新党大地代表の鈴木宗男衆院議員は、「驚きと悲しみでいっぱい。この政治の世界、私自身の経験も含めて、つくづく厳しいものだと思う」と大粒の涙を流しながら語り、麻生太郎前首相も「自民再建に向け、大事な人材だった。言葉にならない位にショック」とのコメントを発表している。 中川氏は衆院選の落選2週間後、09年9月14日にホームページを更新。そこでは、「予想通り『危ない政権の危ない日本作り』が着々と進んでいる」と民主党などを批判。そして、 「私は今後新たに決意を持って進んでいきます。発信していきます。『日本が危ない』から」 と前向きな表現で締めくくっていた。ただ、それ以降の更新は見られない。 落選の「ショック」引きずっていた? 4日のテレビ朝日「サンデー・スクランブル」で、コメンテーターのテリー伊藤さんは、 「インタビューの際、こちらからの質問をメモしてくれるような(真面目な)人。そういう人は政治家にいなかった。本当につらい」 と、その早すぎる死を惜しんだが、同番組に電話で出演した政治アナリストの伊藤惇史さんはこんな指摘をしている。 「選挙後に後援会の総会があったが、そこに中川さんは出席されず、落選のショックを引きずっているといぶかる声もあった。(次の選挙についても)ご本人の意思が周りの人たちに伝わってこなかったようだ」 中川氏は83年、一郎氏の急死を機に衆院選に出馬し、初当選。以降、衆議院議員を8期つとめていた。小渕内閣で農水相として初入閣、その後、経産相、財務相と主要閣僚を歴任し、将来の首相候補とみられていたが、09年2月、ローマで開かれたG7(先進7か国財務相・中央銀行総裁会議)で、もうろう状態で行った会見が批判を浴び、財務相を辞任。同年8月末の衆院選で落選したばかりだった。 <中川氏急死>病死の可能性も 病理検査で詳しい死因調査へ 2009年10月4日 20時57分 ( 2009年10月4日 23時09分更新 ) 4日午前8時20分ごろ、中川昭一(なかがわ・しょういち)元財務・金融担当相(56)が、東京都世田谷区下馬5の自宅で死亡しているのを妻郁子さん(50)が見つけ119番した。警視庁世田谷署によると、中川氏に目立った外傷はなく、遺体や室内の状況から事件や自殺の可能性は低いとみられる。行政解剖では死因を特定できなかったが、病死の可能性があり、都監察医務院が病理検査で詳しい死因を調べている。告別式の日程は未定。 世田谷署によると、中川氏は自宅2階の寝室のベッドで、ポロシャツと短パン姿でうつぶせに倒れ、ベッドに吐いた跡があった。寝室の机の上に睡眠薬とみられる錠剤があり、家族は「眠れないということで、都内の総合病院に通院し、睡眠薬を処方してもらっていた」と話しているという。 3日正午ごろに長女(25)がベッドで寝ている中川氏を見ていた。同午後9時ごろには、外出先から戻った郁子さんがベッドで横になっているのを確認したが異常はなかった。中川氏は普段1人で寝ており、朝になっても起きて来なかったため郁子さんが様子を見に行くと、既に体が冷たくなっていたという。死後約10時間経過していたことから、3日午後11時前後に死亡した可能性がある。 中川氏は郁子さんと長男(17)と長女の4人暮らし。3日夜は、外出して不在だった長女を除く3人が自宅にいたという。 中川氏は衆院議員だった父一郎元農相の自殺後、日本興業銀行を退職し、83年の衆院選に初当選。農相や経済産業相、自民党政調会長などを歴任。財務・金融担当相には08年9月に就任したが、今年2月、ローマで開かれた先進7カ国財務相・中央銀行総裁会議(G7)後のろれつの回らない「もうろう会見」で批判を受け、辞任に追い込まれた。8月の衆院選で9選を目指し北海道11区から出馬したが落選した。【古関俊樹、川崎桂吾】
by negative_opinion
| 2009-10-05 00:33
| 政治・経済
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