カテゴリ
最新のトラックバック
その他のジャンル
記事ランキング
以前の記事
2017年 12月 2016年 02月 2015年 07月 2015年 01月 2014年 11月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 05月 2013年 07月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 10月 2012年 07月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 04月 2011年 01月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 ファン
画像一覧
|
多くの文化・芸術は、人治国家の貴族階級や為政者がパトロンになって爛熟させたと聞く。音楽、絵画、衣・食・住、乗り物・・・と、個別の例は私が知ったかぶるまでもない。
中世の人治国家のパトロンと比べれば、民主化された近代国家のスポンサーは小粒になり、サービスを提供する側も大衆化したのだろうが、それでも一部の「高級」な衣食住の世界が残った。 例えば鳩山首相の爺さんのように、田中角栄が登場する前の与党政治家や財閥トップは、潤沢な個人資産でカッコ良く立ち振る舞い、高級な文化を使いこなして人を惹きつけたのだろうが、その後は知性や節操、文化的な教養も無い環境で生まれ育った人達が、組織の資金力を個人の身銭と勘違いして増長した。 例えば高級料亭は、勘違い連中が増長し、本人の身銭でなく組織や他人のカネで利用する客ばかりになり、そういう客に頼って成り立たざるを得なくなった時点で、暖簾の魂もビジネスモデルも終わっていたのだ。むしろ、1970年代から約40年にわたり崩壊への道を辿ったのだと言いたい。 身銭を切らずに通った輩の中に、本当に高級料亭の有難味を理解し、味と文化を愛でた者など稀有だろう。だから世代間の文化継承もなされず、若手政治家は居酒屋や、せいぜいホテルのレストランでワイワイやるようになったのだ。世間に密室政治の印象を与えたくないのだろうが、何よりも高級料亭の料理やサービスの有難味が解らなくなっているのだ。和食ファミレスの料理と食べ比べても、価格に見合う違いさえ見分けられないだろう。 例えば、地元の旬の素材を活かした一品をひと足早い時期に食せば、地元の季節の移ろいや情景に思いを馳せて、ここのところご無沙汰だったな・・・と思い浮かべるものだろうが、本当の意味で地元の気候風土や人情が刷り込まれずに都内で生まれ育った二世・三世議員にはピンと来ないハズだし、今どきはそんな気遣いを考える板前もいないのだろう。 大衆革命が起きたような今の局面で、高級料亭の悲哀に庶民の共感が得られないとすれば、本質的に「身銭を切って食べてない」事が透けて見えるのだ。 すなわち、税金を源泉とする経費はもとより、政治屋稼業で稼いだカネや政治活動の経費を使って高級料亭で飲み食いしているのだろうと勘ぐられるから、国民の反感を買うのだ。政治家が、政治と全く関係ない所で稼いでいる個人事業で得たカネや資産で文化活動をするのは個人の勝手だが、それが出来ない政治家は、質素・清貧に徹して、誰が見ても納得できる政治活動にしか政治資金を使うべきでないのだ。 そのような清貧政治家は、個人生活の生活水準を最下層(日本ならホームレス)に身を置くべきである。そういう意味では、社民党、共産党の議員でさえ退廃している。例えば議員会館で寝起きをするのでなく、国会議事堂の周辺か日比谷公園でテント生活をして、ゴミ箱を漁って飢えをしのぐのが妥当である。当然、家族は持つべきでない。家族を持つのは現代の日本において贅沢な行為だ。持つならテントで共同生活だ。万がいち子供がいるなら、公立の最小限の義務教育に留めるべきで、後は本人が社会的に自立して自分の稼ぎで勉強すべきである。逆説的だが、弱者の味方を標榜する社民・共産の「あざとさ」を指摘したかった。 高級料亭の話に戻ると、今や大き過ぎる「身の丈」を守るためには、暖簾(ブランド)を開放してカジュアル化・大衆化を目指さざるを得ないのだろうが、外食産業は厳しい。特に高級ブランドは辛いだろう。以上の経緯からすれば、高級料亭には庶民の反感さえあるわけだ。このような展開をすると、物珍しさで一回転しても、すぐに飽きられ潰れてしまうのではないだろうか。自ずと、庶民に媚びて浅薄な企画と低価格化が進み、それまでの文化を支えて来たスタッフや関係者(板前、仲居、調達先・・・)の士気やモラルが崩壊する。 「暖簾」と、その「魂」を残したければ、1店舗、1日1回転、5人以内しか受け付けないような極めて小さな身の丈に思い切り収縮させて、自腹で超高級料理を食べる人に向けた超プレミアムな路線で細々と生き永らえる方が潰れずに済むと思う。もっとも、末永く暖簾を守ることに興味が無く、自分だけオイシク稼ぐことしか考えられない人ばかりなのだろうから、事実上は有り得ない展開だ。 そうすると、高級料亭と芸者はフランスやアメリカに引っ越した方が良いかも知れない。本来の文化を尊重してくれて、価値に見合う対価を身銭で払って通ってくれる人がいる気がするのだ。 <料亭街>不況に政権交代……「料亭政治」の面影なく苦境に 2009年9月19日 14時44分 ( 2009年9月19日 17時52分更新 ) 政権交代は東京の花柳界の経営にも影を落としている。バブル崩壊後の景気低迷で客が減り続けていた高級料亭は、昨秋のリーマン・ショックで追い打ちをかけられ、そこに今回の政権交代。長年「料亭政治」で上得意客だった自民党が大敗したダメージは大きい。「官僚が去り、財界が去り、ついに政治家も。民主党議員はほとんど居酒屋しか行かないと聞く。料亭はこの先どうなるのか」。関係者からは悲鳴に近い声が上がる。【合田月美】 不況の影響は深刻だ。「米村」「金田中」など有名料亭が集まる東京・銀座の料亭街は、かつては「花街新ばし」としてにぎわい、数十の料亭が軒を連ねた。 ところが今春には10軒ほどになり、最近も老舗2軒が店をたたんだ。ほとんどの料亭は社員のパート化を進めているほか、ランチ営業、法事の弁当造り、インターネットによる通信販売など経営多角化に必死だ。結婚式会場として売り出す料亭も目立ってきた。 鳩山内閣が誕生した16日、著名料亭社長は「かつては選挙や組閣ともなれば、毎晩のように派閥だなんだと次々と会合が持たれ、表には黒塗りの車が並んだのに、今回はさっぱり。こんなことは初めて」とこぼした。 別の料亭のベテラン接客係男性は「高度経済成長期以来、根回しや段取りなど、我々は、政財官がうまくいくための潤滑油と思ってやってきた。誇りも感じた。派閥や族議員のたまり場だったことは認めるが、だからといって料亭が敬遠や非難をされるのはおかしい」と話す。 永田町に近い赤坂にある老舗料亭の社長は「せめて民主党が景気対策に取り組んでほしい」と祈るような表情で話した。 長年、政治の舞台となってきた料亭。自民党政権下では、派閥や政治家によって行きつけの料亭が決まっていた。1960年代には都内に約1500軒の料亭があったが、今は銀座、赤坂、人形町、神楽坂、向島、浅草に計50軒余。1万人以上いた芸者も、今は約300人に減少した。 全国の料亭が加盟する全国料理業生活衛生同業組合連合会会長の藤野雅彦「米村」社長は「料亭は日本の伝統文化に直接触れて理解することができる場所。国際的にご活躍していただくためにも、民主党の先生方にもぜひ、いらしてほしい」と話している。
by negative_opinion
| 2009-09-20 08:33
| その他つぶやき
|
ファン申請 |
||