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ノリはもとより、価値観や趣味が合わないな、と思う人は沢山いた。逆に言えば、何もかも「合う」人には一人も出会ったことがない。一方的に嫌われたり、攻撃されたりイジメを受けた経験は何度かあるし、そういう相手を避けたこともある。だが、私の場合は誰かを明確に嫌いと意識して攻撃した事は無い。
グループや職場の風土は、得てして保守的で後ろ向きだったり、クラくて陰険だったりする。学校の部活でも部内の陰湿なイジメに遭った。私の渡り歩いた道が不運だったのかな、と思っていた。 だが、この記事を読むと、私の言動をはじめ、立ち振る舞い、見た目が、皆の心の暗部にある事を晒していたのかも知れない。そりゃそうだ。後ろ向きな考え方のグループで、前向きな事や奇麗事を言ったら「ウザぃ」と思われて嫌われるのが世の常だ。 じゃぁ、嫌われないようにするには、どうすれば良いのか?皆に迎合して皆の心の闇にある地雷を踏まないように振る舞うように自分を変えるしかないのだろうか? 人を嫌わないようにするために自分を変えれば良いのは解るが、嫌われないために自分の趣味や信念を変えるのは納得できない。イジメがはびこるグループの中で、多数のイジメる側になるよう、自分の考え方や言動を変えれば嫌われないで済むかも知れないが、私には出来ない。 人が人を嫌いになるメカニズム 2009年4月2日 08時30分 人が人を嫌いになる時、精神分析の考え方では、すべてとは言いませんが、シャドーの投影というものが起こっています。いわゆるフロイト/ユングの知見ですが、こういうことを知っていると、人を嫌いになった時、とても役に立つように思います。 私は大学では英米文学を専攻しました。理由としては、フロイト/ユングについて勉強したかったからですね。フロイトやユングは心理学では? と思いますよね。そして、心理学だったら、心理学科がよいのでは? と思われるかもしれません。 でも、日本の大学でやる心理学は、行動主義系か、発達心理学系の心理学なので、精神分析系のフロイトやユングは研究の中心ではありませんね。ただ、英米文学の批評の世界では、フロイト/ユングは非常に大きな意味を持っています。 1900年にフロイトが無意識を「発見」したので、人間のある意味で合理的でない行動が説明できたり、表現に現れる無意識的な前提のようなものを分析できるようになったんですね。 表現に現れる無意識の前提というのは、文学を考える時に大事ですよね。だから私は英米文学を専攻しました。 文学批評の勉強をする過程で、ユングやフロイトの勉強もしていました。その時、シャドーという概念を知って衝撃を受けました。人が人を嫌いになる時、シャドーの投影というものが起きている! ということです。このことを知って、私の人生はだいぶ変わりましたね。 どういうことか説明を試みますね。まずはシャドーについて見ていきましょう。 ●折に触れて目覚めるシャドー 人は、子どものころからの成長過程で自分が不要だと思った自分の部分をシャドーというところに切り離して捨てます。例えば、母親に「あなたは人のモノを欲しがってなんてだめな子なの!」と怒られたとします。そうすると、子どもはそういう部分が自分の中にあることを否定して、捨て去る。そうすると、捨てられたものがシャドーにたまっていく。そういうものってけっこういっぱいありそうですよね。 捨てたと思っていても、自分のパーソナリティーの中に本当は存在しているものです。そのシャドーは心の奥底に抑圧されて眠らされているんです。ただ、折に触れてそのシャドーは目覚めて人の心の中で暴れます。 場合によってはメンタルヘルスを害するぐらいになります。そういう時に、自分が抑圧している部分を、他人が持っているかのような行動が認識されるんですね。そうすると、その人のことが大嫌いになる。 まあ、自分が否定したものを持っている人を見て、気持ちよくはないのは分かりますよね。このファッションは嫌だなと思って、服をまとめて捨てたとして、そういう服を着ている人とはなんとなく仲良くしたくないですよね。 実際には、その捨てたはずのシャドーの存在を、他人の中に知覚すると、非常に自分の存在が脅かされるような感じがします。そうすると、その人がその自分のシャドーを持っていることを責めたい気分になってきて、人に攻撃的になるんですね。 それで、そのシャドーを他人が実際に持っているかどうかは、こういうときには関係ない。「持っているかのように思える」んです。その人の行動を見て、自分が否定した部分を持っているかのように思い込む、に近いですね。 こういうのをプロジェクション、投影、と言います。つまり、自分が抑圧しているものを、他人に投影して、他人がその悪い部分を持っていると思い込み、他人を憎む、嫌いになるということなんですね。 このことを知ったとき、私は困りました。私は「嫌いだ!」と思う人がたくさんいたからです。ひょっとして、自分の中の嫌いな部分を人に投影して、嫌っているだけなのではないか?自分は自分のせいで人を嫌っているのではないか? そういうふうに考えるようになると、人に憎悪というか、そういうものを感じたときに、ひょっとして、自分のシャドーにそれがあるのか? と思うようになりました。そうすると、自分がそのシャドーと向き合い、自分の一部分だったにも関わらず、捨て去ってしまったことを認め、統合することができるようになってくるんですね。すると、大嫌いだと思っていた人への憎悪は沸きあがらなくなるようになってくる。すごく不思議ですけどね。 ●まずは自分が変わってみる それで、思うのです。もしもみんながこういう考え方をしたら、世の中が住みよくなる、そしてみんなが成長に向かうことができるようになるんではないかな、と。だから、プロジェクトをやっている時に、人に負の感情を感じて、ぶつかりあうこともありますよね。その時には相手が成長に向かうことを信じつつ、自分のシャドーを統合していくという作業をやっています。 そうすると、意外と嫌いだと思った人が、そうでもないように思えてきたりします。そして、気分的に楽になってプロジェクトを進めることができるようになる。きっと職場でもそうではないかな、と思います。嫌いな人がいっぱいいる職場というのはいい職場ではないかもしれません。 確かに、絶対的にいい職場、悪い職場というのもあるかもしれませんよ。それは前提です。ただ、「この人嫌い!」とか、「この人が悪い!」と人を責めるよりも、自分が変わること、自分のシャドーと向き合うことを選ぶことによって、悪い職場と思えていた場所が、少しは過ごしやすくなったりするのではないでしょうか? そういうことを触発して、いい職場にしていけるマネジャーというのが、素晴らしいのではないかな、と思いますが、そういうことをマネジャーには期待できない場合が多いと思います。ですから、こういった知見を知ったとしたら、信じる信じないは自由ですが、まずは自分が変わってみる試みをやってみてはいかがでしょうか? と思うのです。(伊藤達夫)
by negative_opinion
| 2009-04-02 14:24
| 社会
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