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私は何でも物事を悲観的に捉える。自他共に認める暗いヤツだ。
しかも私の本音が顔に出て傍目に直ぐバレるから、誰からも距離を置かれる。 リアルなコミュニティの中では出来る限り調子を合わせているが、疲れて顔に出る。 調子が良くて皆が浮かれている時ほど、内心はブルーになる。 絶頂とは下降と衰退、ひいては滅亡の始まりだからだ。 堕ちる恐怖と絶望を味わうくらいなら、絶頂を先延ばしにして苦しみ登り続ける方がマシだ。 苦しくても上を向いて歩く方が楽しいが、苦しい時や悲しい時のカラ元気は面倒臭い。 ホントかどうか知らないが、登山で起こる遭難は下山途中の方が多いと聞く。 飛行機は離陸より着陸の方が難しいと聞く。 賞賛すべき事を成し遂げても、晩節を汚した人は多い。 私は一度きりの人生で何を成し遂げたいわけでもない。ただ、生きたい。 それから、周りになるべく迷惑をかけず、晩節を汚さず、出来れば誰かの役に立ってから、綺麗に死にたい。 しかし、これは矛盾しまくりで調子の良い話だ。偽善と非難されても仕方ない。 何故なら、誰かに迷惑をかけなきゃ生きられないから。死ぬというのは肉体の破壊だから、基本的に苦しくて、汚い。普通に死んだら、後は必ず誰かのお世話にならないと亡骸を始末できない。誰にも迷惑をかけない死に方は、汚い。結局は誰かに迷惑をかける。 それに「誰かの役に立ちたい」、と望むのは自己愛で、相手からの感謝を期待したら偽善だ。ましてや相手に感謝を強要するのは最低だ。 例えば、我が子に対し「親の愛情」と称して何不自由なく与えコテコテの過保護をしたとする。 こういうバカ親ぶりを賞賛する人はいるかも知れないが、その結果、内外から「親に感謝しろ」とプレッシャーをかけられ、親に頭が上がらず、永遠に親から自立できない子に育ち、いずれ親が衰えて養えなくなり、親が先に逝ってしまえば、それは子に対する究極のネグレクトである。残された子供は親の自己愛の被害者である。 あるいはその前に、多感な時期を迎えた子供が自立しようと反抗し、親の愛情という美名の下に自立の芽を摘まれて挫折すれば、その恨みを反社会的な行動で晴らそうとするかも知れない。もしそうなれば、それは親の自己愛と偽善がもたらす、取り返しのつかない社会悪だ。 そもそも、自分の行為が人の役に立ったかどうかは、あくまで結果論で後世の第三者が判断することだ。「ありがた迷惑」になっていれば、謙虚に反省すべきだ。例えば、私は自分の価値観が合理的で正義であると押しつけ傲慢に振る舞い、結果的には大量殺戮を繰り返し、本音は他国からの搾取と自国の覇権を追求するアメリカが大嫌いだ。でも、今まで私自身が無意識の内に似たような事をしたり、加担して来ているのだろう。 公私共々こういう葛藤に向き合って、折り合いをつけながら、少しでも幅広い周りの人と末永く平穏を守るために、先々の課題を洗い出して問題に向き合い、解決し続けて行くことが、私にとって「生きる」ということなのかも知れない。 だからこそ課題を洗い出して問題に向き合うために、トコトン悲観的に考えるのである。 人は既得権益と築いたモノを失うのが怖いから不安になったり動揺する。悲観的な将来像を描いて、命以外の全てを失った状況を覚悟すれば、居直れる。そこから上を向いて歩こうと思えば、取り敢えず今を生きる気分になるものだ。 - おことわり - 拙文について立場が異なる者から、拙文同様に論点や論拠も示さぬまま、罵詈雑言で満たされた感情的なコメントをいただくことがある。 それは、立場が異なる者が神経を逆撫でされたら、そうなるのは仕方のないことである。 立場の違いがあるなか、お互いに客観的な論拠を示さず、解り合おうとする前提もなく、ただ感情的に自説をぶつけ合うのは不毛なので、そのようなコメントには応じていないことを、あらかじめお断り申し上げる。 なお、あらかじめ記すが、拙文はあくまでマスターベーションであり、私の予断と偏見にもとづく個人的な意見である。このブログで世間に正しい情報を発表する意図は全くない。 文中の論拠や根拠にいちいち客観性を担保させる考えもなく、私なりに得て来た世間の断片的な情報と、若干の人生経験から得た心象にもとづいて述べている。 ただし、拙文に事実があるとすれば、こういう偏見と考えを持っている人間が、この世に少なくとも1人いるということだ。
by negative_opinion
| 2017-12-31 23:59
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